thought 
  アボサンinfo.いろいろ思索雪だるまの視点 
 雪だるまの"好きな"シリーズ
 ◇ 私の好きなポエム(詩や歌)
illustration & poetry ©MIYO Abo 1979 
 私の好きなアボサンの詩は、『時計草だより』によく出てきます。 他の単行本だと、"詩的なナレーション"は出てくるんだけど、 いわゆる"詩"は少ないので。

 阿保さんはナレーションも良いんだけど、 一流の漫画家ならみんな上手いので、ここでは省きます。 一応、特徴を挙げておくと、「ふるさとメルヘン」は優しい東北弁の昔話風で、 「だより」シリーズでは、ちょっと詩的な感じ。

 ここでは、『時計草だより』に収録されたシリーズの中から、好きな詩をいくつか挙げます。


  ▽ たんぽぽ〜   ▽ つむじ風〜   ▽ くるみの木〜   ▽ 時計草〜   ※ 概評


 
"たんぽぽだより"から   


 まず、『時計草だより』を開いてすぐ。 これもどちらかといえばナレーションだけど、韻とリズムがいい。 本を開いて一番最初だから、印象的なのかな。


 
  小さな村の小さな新聞社
  編集長兼記者兼お茶くみ
  兼そうじ係のホッホさん
  ガラス瓶に花一輪
  カップに一杯のお茶

  そして朝の乾杯

  きょうがきょうであることに
  きょうが12月5日であることに

  乾杯!

「うたどけい」(『時計草だより』 p.4)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 たんぽぽだよりシリーズその1、「うたどけい」の冒頭、話の導入部。 この舞台のこと、主役のホッホさんのこと、生活の雰囲気、日付までが、 部屋のインテリアの風景とともに、この詩的なナレーションで語られます。

 そして話の終盤。風見どりを修理するホッホさんが、空から降る雪に目を奪われ、落ちて怪我してしまう。 最後、ストーブの利いた室内で、子供たちが遊ぶ窓の外を見ながら…


 
  きょうは何日?
  きょうは毎日だよ
  いとしい日々

  ぼくはしらない
  日にちって
  何だろう

「うたどけい」(同 p.9)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 という詩で終わります。

 そして、同シリーズはつづき、「風車草」へ。 レース屋のテーアに恋をしたホッホさんが、最後、彼女に思いを打ち明けて、両想いが成就する。 そのラストシーン、二人が街角の窓辺でキスをする姿を遠景に…


 
  千の抱擁 万の接吻ベーゼ
  かぞえきれない やさしい 言の葉


  きょうはなんにち きょうはまいにち
  きょうは 風のなかの ひとひらの永遠


  ぼくはしらない
  愛ってなんだろ

 
「風車草」(同 p.22)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 これも大好き。「今日は何日〜風の中のひとひらの永遠」のところが特に。 「うたどけい」の日常の賛歌から、また一歩世界が幸せに進んだ感じ。



 
"つむじ風だより"から   


 つむじ風だよりシリーズの「春がすみ草」から。 巡査のアーヨさんとゴーロさんが、村をパトロール。 野原にいた花屋さんに頼まれて、一緒に青いキクの花を探す。 でも気づけばそこは花屋さんの夢の中? 春の草原にみんなが集まって、 楽しい夢のひと時を…。

 そのラストシーンを飾るのが、この詩です。



 
  アンダンテ・カンタービレ
  ときおり
  プレスト・フリオーソ
  のち
  ラールゴ・アッファービレ

  春の夢は
  どこまで
  つづくのでしょう


 「春がすみ草」(同 p.37)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 お洒落、言葉が。 「アンダンテ、カンタービレ」、私は初めて読んだ時、こんな言葉まったく知らなかった。 音楽記号だってことは、ずっと後になって知った。

 当時(私が12〜3歳ぐらい)、「なんだろう、外国語だなー」と思って、 調子があまりいいものだから、意味分かってないんだけど、気持ちいい。 リズムも完璧ですよね、これ。 語感だけで気持ちよくさせる力がある。

 これは、天気予報の言葉を、音楽用語とミックスさせてるわけで、すごいよね。 本当に洒落てる。センスがいい。心地いい。


「春がすみ草」(『時計草だより』 p.36〜37)より (C)阿保美代/講談社
かすみ草の草原の中には、細かく、花束を抱えた他の村人たちも描かれている。
ホッホさん、駅長さん、地図屋さん、ホラージュさん、そしてアボサンまで。
「春がすみ草」より (©阿保美代 1979/講談社)



 
"くるみの木だより"から   


 続いて、くるみの木だよりシリーズの「ゆりかごのうた」は、 作品全体が詩的になっています。 舞台は西欧ののどかな農村で、広場の中央に、立派なくるみの木が一本。 晴れたお昼、その木陰で農婦たちが楽しそうに働く。

 くるみの木を中心に、その木陰で働く農婦たちと、 目には見えないけど存在する精霊や天使たちの世界が、 美しい絵と詩でファンタジックに描かれます。


 
  天使が その翼を 休めるとき
  泉の精が ほおっと 吐息 つくとき

  ひるさがり くるみの木
  すずやかな さらさ織りの
  影の手 ひろげるとき

  村のおかみさん
  その木陰で おしゃべりするとき
  毛糸 まくとき
  じゃがいもの皮 むくとき

  子守唄 うたうとき



  くるみの木
  唄にさそわれて ふうっと思う

  わたしに 子守唄
  うたってくれたのは 誰だっけ

  だれが わしを
  ここへ おいたのだろ

  西の風が 種子を
  はこんできたんだろうか

  牧人が 苗を
  うえたんだろうか

(〜中略〜)


  泉の精 さらさらと つぶやきはじめるとき
  眠りの精 まどろみの砂 まきおえるとき

〜 くるみの木の周囲に優しい風が吹き、
 日陰のベッドで眠る赤ん坊の姿と、
 農婦たちが木や風に感謝する台詞 〜

  ひるさがり くるみの木
  母なる子守唄 うたうとき

  ものみな すべて 静かなリ


 「ゆりかごのうた」(同 p.59〜65)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 これは大人の詩。上等な感じがする。そして映画的。

 まず最初の「天使がその翼を〜」は、シエスタ─ 昼下がりの、 全てのものが止まっている状態。その静止の時から始まって、 「子守唄うたうとき」で一瞬動くまでが、ひと塊。

 そこから、くるみの木の精の追憶に入る。彼は過去へ始原を辿り、やがて何かを見、まどろみ、眠る。 そして、「泉の精〜」「眠りの精、まどろみの砂 まきおえる時〜」で、再び今の時間が動き出す。 農婦たちのセリフが入り、ラストの「ものみなすべて静かなり」へ。

 静から動、また静への展開が上手くて、時空を越えた世界を、スムーズにイメージできる。


「ゆりかごのうた」(『時計草だより』 p.65)より (C)阿保美代/講談社
「ゆりかごのうた」より  (※clickで拡大)
(©阿保美代 1979/ 講談社)


*    *    *

 同シリーズの「野原のおまつり」もいい。 美少女に恋する少年の話。 村の祭日に、くるみの大木を中心にして、村人たちが輪になって踊る。 少年の真向かいに少女。花輪で頭を飾って、 ほかの村人と手をつなぎ、踊り始める。


 
  あの子は ぼくの まむかいで



  あの子が 木のかげに かくれる
  あの子が いなくなってしまう
  いなくなってしまう

  あの子が 木のむこうから
  あらわれる

  なんて すてきなんだろ



  あの子がいる
  かなしい

  あの子が かくれる
  さみしい

  あの子が あらわれる
  いっそう かなしくなる

  あの子が かくれる
  なお いっそう さみしくなる



  くるみの木は
  疑問符のように
  ぼくのまえに たっている


 「野原のおまつり」(同 p.68-69)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 絵もいい。くるみの木が広場の中央にあって、 輪になって踊るから、少女が、少年から見えたり隠れたりする。 それが単に「嬉しい」じゃないところも。

 この「疑問符のように〜」を受けて、 次のページで、「だから ぼくは 答えなきゃならない」に続く。 くるみの木が風でさらさらと音をたてて、それが精霊の声援のように聞こえて、 少年にある決意をさせるんだ。



 
"時計草だより"から   


 最後は、時計草だよりシリーズの「くもりぞら」から。 先生と、その助手になりに来た青年ジョシュアの話、4連作の2つ目。

 ジョシュアが、いざ高名な先生を慕って来てみると、 先生はイッちゃってて、それでも弟子入りしたものの、付いていけなくて、煩悶してる時期。 そのジョシュアの心情をポエム化しているのが、この「くもりぞら」の扉の詩。


 
  今日は20日(はつか)
  明日はばかだ
  5日(いつか)には ふぬけで
  10日(とおか)には
  おお
  まぬけになってしまうに
  ちがいない

 「くもりぞら」(同 p.80)より 
(©阿保美代 1979/ 講談社) 



 これはちょっと異色。何か元があるのかな。 数字と言葉が掛けてあって、日付が進んでいって…。 心の内が煮詰まっている感じ、すっきり晴れない彼の心境が、よく表れている。

 この次の「きらきら星輪舞」の扉にも詩があって、 「夢で、ひたすら下へ落ちていくと思ったら、すっと目も覚めるような青空へ抜けていた」 という内容。最後の「夏星への扉」では、彼はついに助手を辞めると言って、 酒の勢いで本音をぶつける。そこで先生が語る話もいい。

 このシリーズは、哲学的。 地球から星から、空、自然、水、人、奇跡まで、さまざまなことが語られる。 その点でピークの時期だと思う。




  △ たんぽぽ〜   △ つむじ風〜   △ くるみの木〜   △ 時計草〜   ※ 概評


 
概評   


 『時計草だより』を開くと、美しいページが次々に展開されるので、語りだすと止まりません。 なので、この辺で。 この時期のアボサンは、精神的にも成熟されていて、神が降りたかのような作品もあります。

 これら、アボサンの詩は、メルヘンの世界を演出しているんだけど、決して子供っぽくない。 そこに教養やセンス、哲学的な思索や思考の、裏づけがあるからだと思う。

 そして、こうした詩も、やっぱり絵 ── 自然や人々の風景と切り離せない。 風景があって、読むから、気持ちいい。 逆に、絵が上手くても、詩が下手だったら、一気に世界が壊される、幻滅って感じになる。

 アボサンの場合は、絵と詩がすごくマッチして、融けあっている。 全くどっちも出過ぎることなく、相乗効果で、アボワールドに引き込んでくれます。





2011-10-30
著者:雪だるま
編集・構成:ライラック
illustration & poetry ©MIYO Abo 1979

ページTOPへ△




□ 付記── 他の漫画家の詩のことなど


 私が、ほかの少女漫画家で好きな詩は、萩尾望都の『ポーの一族』の中にたくさん出てくる。 例えば、「ジンチョウゲ、ジンチョウゲ、金色に匂うよ。まといつくよ、まといつくよ、愛してる。」とか。(しりあがりさんがパロッてた)。 萩尾望都は、凄い。本当に凄いと思う。


 
  ジンチョウゲ ジンチョウゲ
  金色ににおうよ

  まといつくよ まといつくよ
  愛してる

  ジンチョウゲ ジンチョウゲ
  金色ににおう

  まといつくよ……

引用:「メリーベルと銀のばら」 
(『ポーの一族 A』 p.86〜87)より 
©萩尾望都 1973/小学館 

 
  戦ったのは
  一角獣(ユニコーン)とライオン
  母さんとマーゴレット
  おじさんとおばさん
  ここはどこ
  まぶしいな

  眠い
  光にとつぜん夢をけられて
  手足がもげそう
  これも夢かな
  真昼の夢かな

引用:「ペニー・レイン」 
(『ポーの一族 C』 p.112)より 
©萩尾望都 1973/小学館 



 大島弓子も、『綿の国星』とかに、いい詩が色々あったと思う。 で、感じるのは、みんな、ものすごく教養があるよね、 萩尾望都も、大島弓子も、阿保さんも。 詩集とか映画とか古典に、よく触れられてたんじゃないかな。




2011-10-30
著者:雪だるま
編集・構成:ライラック
poetry ©MOTO Hagio 1973


△ コーナートップへ戻る △
inserted by FC2 system