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  アボサンinfo.いろいろ思索雪だるまの視点 
 雪だるまの"好きな"シリーズ
 ◇ 私の好きなキャラクター
illustration ©MIYO Abo 1972-1999 
 わたしがマンガを買い始めたのは、小学4年生の頃。 最初は、「ドラえもん」とか「つる姫じゃー」を買ってた。 あと、少女マンガ雑誌に1〜2本入ってるような、4コマ漫画やギャグ漫画、 ああいうのを探して買ってた。

 当時はまだ、ストーリー漫画に目覚めていなくて、 目に星がはいってる絵とか、描き込んである絵とかは、私の興味の範疇になかった。

 そんな頃、本屋で、『アボサンのふるさとメルヘン』を見つけた。 本の中は開けられなかったんだけど、表紙にいる女の子の、目の点々と口、そのバランス。 それがストライクゾーンど真ん中のバランスだった。私の可愛いセンサーの。


『アボサンのふるさとメルヘン』 表紙より (C)阿保美代/講談社
単行本『アボサンのふるさとメルヘン』表紙より
(©阿保美代 1979/講談社)


 当時、そこまで単純化してるのは見たことなかったし、 これ、1mmでも目と目の間の距離が縮まったら、全然印象が違う。可愛さも。 そのバランスの距離、それが私的には、完璧なわけでして。

 で、買って帰って本を開いてみたら、ストーリー漫画で、その時はガッカリした。 ただ、キャラクターで言えば、「マー」(「泣き虫たんざく」)の顔のバランスが典型的なんだよね。 あの頃、他にこういうのを書ける人はいなかった。ずば抜けて可愛かった。 ツボだった、私の。


「泣き虫たんざく」 (『アボサンのふるさとメルヘン』 p.66)より (C)阿保美代/講談社
"妹マーと兄"(背景は夜の竹林) 〜「泣き虫たんざく」より
(©阿保美代 1978/講談社)


 それから「みそっかす天狗」(「あめふりてんぐ」)の可愛さ。 顔は、目の点と点と、鼻と口のバランス。性格も、無邪気だからいい。 よく見れば「アーヨさん」そっくり。 ちょっと馬鹿なところも似てる。純朴で正直で、根っから人がいい。 そこが可愛い。

 この天狗は、色んな顔をする。 威張るところもあるし、侮辱されてマッカッカになる顔もあるし、 飛び跳ねて喜んだりもする。 表情が豊かなんだよね。

*    *    *

 その後、中学から高校の頃に、 『時計草だより』、『ふるさとメルヘン2巻』、『くずの葉だより』が出て、 「わー!出たー!」と思って、喜んで買ったと思う。 雑誌(少女フレンド)は買ってなかったから、どれも単行本で読んだ。

 『時計草だより』で、超かわいかったのは、おばけ。おばけは本当に可愛いと思う。 私の可愛いポイントのルーツは、藤子F不二雄の「オバケのQ太郎」のオーちゃんなんだけど、 このおばけもそう。


「幽霊そなた変ホ長調」 (『時計草だより』 p.48)より (C)阿保美代/講談社
"おばけ" 〜「幽霊そなた変ホ長調」より
(©阿保美代 1979/講談社)


 ホッホさんもいいよね。好き。 この連作(「うたどけい」〜「風車草」)って、コマが進むごとに、ページをめくるごとに、 ホッホさんの頭身も、顔の描き方も、変わるんだけど、どれもいい。 恋するテーアさんも綺麗。

 宿屋のおかみさんも可愛い。 目だけで、口もなかったりするけど。 これだけで表情の変化をつけられるのは珍しい。 本当にこの時期は、阿保さんに何かが降りているんじゃないかっていうぐらい。


「風車草」 (『時計草だより』 p.18〜19)より (C)阿保美代/講談社
"新聞屋のホッホさんと、レース屋のテーア" 〜「風車草」より
(©阿保美代 1979/講談社)


 キャラクターのネーミングも洒落てる。 巡査のアーヨさんゴーロさん。 羊飼いのサガンさんと羊のブランケット。画家のホラージュさん。 ガラクタ屋のクレランボーさん。助手ジョシュア。トーレンチカとアルフ…。 ヨーロッパ風のメルヘンの世界にぴったり。

 『時計草だより』の村の人って、 みんな職業も性格も違うけど、心根がいいんだよね。 人も、景色も、お話も、のどかで素敵なんだ。

*    *    *

 最後は、「真夏に真綿の雪がふる日」(ふるさとメルヘン2)から。

 冒頭の場面、子供の頃に行った田舎の、夏場の、誰もいないお座敷の感じが、よく出てる。 それで、この女の子のキャラクター(少女あや)、作為的なところを全然感じない。 何か、全体的に、計算がない。


「真夏に真綿の雪がふる日」 (『アボサンのふるさとメルヘン(2)』 p.20)より (C)阿保美代/講談社
"少女あや"。着物の帯を結んでもらおうとお母さんを呼ぶが、返事はない。
「真夏に真綿の雪がふる日」より (©阿保美代 1979/講談社)


 なぜかって考えると、この女の子は、仏様じゃん、人間じゃない。 だから、子供ゆえの無邪気さもあるけれども、仏様としての純粋性もある。 で、それをたぶん阿保さんは、そんなに意図してないと思うけど、 その純粋性が、無垢な表情というか、計算のない表情に、なってるのかな。

 この切ない表情も、やりすぎてないから、いい。 この表情を書くのは、凄く大変。


「真夏に真綿の雪がふる日」 (『アボサンのふるさとメルヘン(2)』p.22)より (C)阿保美代/講談社
家を出て、お祭りの広場に来るが、人はおらず、林の方を見つめる。
「真夏に真綿の雪がふる日」より (©阿保美代 1979/講談社)


 この時期って、阿保さん自身、全く、邪念がなかったんじゃないかな。 上手く書いてやろうとか、色気っていうのか、野心もないし。

 でも、誰だって狙って書くわけじゃん、絵って。 絵を描く時に、目指すイメージがあるわけじゃん。 それは当たり前のことだと思うんだよね。 だから、全く何も考えてなければ良いってわけじゃないし。

 でも、そこに下心というか、ちょっとでも恣意的な心── 受けようとか、可愛いって言われたい、 単純に、可愛く描こうとか── が働いてしまうと、こうならない気がする。 これは、微妙すぎる、難しい問題で、言葉に出来ないところ。

 それがなかったのが、阿保さんの、この頃の、凄かったところだと思う。




2011-07-31
著者:雪だるま
編集・構成:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1972-1999


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