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 阿保美代さんの作品に
 ◇ 音のイメージ 
illustration ©MIYO Abo 1972-1999 
 以前見た『ぱふ』誌の中で、 阿保作品を評して、「高次のイメージファンタジィの世界」という表現があって、 なるほど、そう捉えればいいのか、と思った。 そこでは主に絵と言葉について触れられていたが、 自分にも思い当たるところがある。

 かくいう私は、今年2010年の春に初めて、阿保さんの作品の真価にやっと気付き始めた。 以降、読むたびに発見があり、しかし未だにどう捉えて良いか分からない作品も多い。 当時'70年代からの熱心なファンの方々が、どんな思いで、 阿保作品を大事にしてこられたのかも、まだよく分かっていない。

 それはともかく、最近、音について、少し感じたことがあったので、書いておきます。

*    *    *

 たとえば、「10月の笛」(『陽だまりの風景』)では、 ラストシーンを迎えて初めて、そのタイトルの意味に気づかされる。 私の場合、読み終わって、本を閉じて、その後、 1ヶ月以上して、ハタとそれに気づいたのだった。 以来このタイトルを聴くと、体がゾッとするようなところがある。

 というのも、ある時私は、序盤のピーピー草の音を「4月の笛」と置き換えたのだった。 春の青空の下、少年少女が楽しく遊ぶ、明るく元気な音。 それをイメージしてから後、 全く対照的なものとして、最後の場面から「10月の笛」の音が聴こえてくる。


引用:『陽だまりの風景』 p.114 「10月の笛」より (C)阿保美代 / 講談社
「10月の笛」の終盤の1コマ。少年の涙が湖面に落ちて、水の輪が広がる。
そこに「トーン」の文字が、細く小さく書かれる。


 この「トーン」(写真上)は、阿保さんが限界まで切り詰めた、音色の表現だろうか。 文字として認識できるギリギリの形象で、離れて見ると、跳ねた水のラインにさえ見える。

 作品の最後は、少年がその音に 「ピーピー草の音を聞いた気がした」とのナレーションが入って終わる。 少年にはそう聞こえたのだろう。 しかし読み手の私は、今やそこからも離れ、先の「トーン」をもとに、彼とはまた別の音を聴くようになった。

 それは無音に近い、けれども胸の空洞で鳴るような響きで、 あの場面を思い出すと、それが聴こえる。

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 また別に、「ぴあの」(『お陽さま色の絵本』) という作品では、阿保さんは擬音を一切使わず、その絵と見事な言葉のフレーズで音のイメージを呼び起こす。 最後に至る3ページは圧巻で、雨の降る窓際に、猫が歩み、じっと佇む。 猫は何を聴いているのか。 見ていて、胸が張り裂けそうなシーンだ。

 と同時に、ここは読み手それぞれで、音の聴こえ方は異なるだろう。 無音に近い人。雨が葉を叩く音、また時々窓をつたうの水の音を聞く人。雨のザーザーというノイズだけ。 さらにその奥に、優しいピアノソナタの旋律を聴く人。


引用:『お陽さま色の絵本』 p.17 「ぴあの」より (C)阿保美代 / 講談社
「ぴあの」の終盤の1コマ。窓の外の雨が、優しく葉を叩く。
(※ピアノ奏者だった飼い主の老人を亡くした猫の話)


 そして、こうした音のイメージ表現の到達点と言えるのが、 「緑のことば」(『くずの葉だより』)になるだろうか。 青年のオーボエは鳴っている。しかし女性は何を聞いているのか。 読み手は立場を変え、緑の溢れる絵の中で、想像を巡らせる。

 「冬の華」(『夏のてじな』)では、 雪の降る白昼の林の中で、口のきけない少女が、嬉しそうに空を見上げて口を開け、何かを歌っているようだ。 しんしんと降る雪の音に、自らの夢の歌声を託したようにも見える。

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 私はこうしたアボサンの、音に対するイメージ表現も非常に優れたものだと思う。 もし分からない、という方がおられたら、作品をゆっくり読んでみてください。 それはきっと心の中で育って、ある日聴こえてくるはずです。

 ロマンシリーズなどの初期の作品には、 一見しただけでは、薄く浅い叙情漫画にしか見えないものも多いです。 しかしそこに入り込めた時に、意外なほど深い、情感に溢れた世界を発見できたりする。

 それは阿保作品を知る人だけが味わえる、豊かな感性の世界ではないでしょうか。




2010-11-07
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1972-1999


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