漫画の中で、風景が印象的な人って、誰がいたっけと思って、
家の本棚にあるものをパラパラと見てみた。
やはり凄くインパクトがあったのは水木しげるさんだった。
なぜここまで、と思うほど、ジャングルの木々、草や葉の一枚一枚まで、葉脈や陰影をつけて、
緻密に濃密に描かれている。画面からはムンムンとした空気まで漂ってくる。
都市風景も写実的で、細かい点描で出来た壁からは、
カビの臭いがしてくる。
そして、つげ義春さんも、似たような細密な風景を描かれる。つげさんの場合は、
水木さんの執拗さが程よく省略されて、風情があり、旅情をそそられる。
グレーのスクリーントーンが多用され、穏やかな色合いが増え、見やすい。
* * *
少女漫画に目を移すと、
'70年以降のものだと、たいてい綺麗に木々や花々が描かれているようだ。
これは人物の周りを飾ったり、場面の雰囲気作りに役立つからだろうか。
岡田史子さんの木々は、粗いが多彩で、叙情性と迫力があり、妙に惹かれるものがある。
大島弓子さんは、繊細に沢山の葉を描いて、画面をふわりと飾っている。
こうした先達に学び、さらに洗練させたのが、阿保美代さんになるだろうか。
彼女の自然の描き方は、バリエーションに富み、
場面に応じて自在に使い分けられる。
その量、その表現の多彩さ、センス、生命感に至るまで、他と一線を画している。
ただし、彼女のは、水木さんやつげさんのような写実性や、土着的で濃密な空気はない。
細い描線のイラスト調のものが多くて、細密ではあっても、
サラッとしている。なのに、息吹を感じるから不思議だ。
* * *
この生命感は、どこから来ているのか。
「ふるさとメルヘン」をパラパラとめくると、自然の描写が次から次に出てくる。
草木だけでない、雨や風や雪や、さまざまに。陰影をつけた写実的なもの、
叙情的なもの、幻想的なもの、抽象的なもの……。
阿保さんは画家のパウル・クレー(1879-1940)が好きだったんだっけ。作品の絵の中にもオマージュ的なものがある。
調べると、クレーは、植物を抽象化して描くため、葉や節をよく観察したという。
そこに植物の原型があり、それを掴んだ上で描けば、生命が宿るのだと。
阿保さんは、青森の自然の中で、樹木や草花のスケッチを重ねていたのだろうか。
木や葉のフォルム、枝の伸び方、花葉のつけ方、山や森の四季の移ろい。
その中で、植物が呼吸していること。それをマンガ的な表現に置き換えていった。
だからどう描こうと、生き生きと見えるし、独自の表現も生み出せた。
生きた自然のイメージ。それを、水木さんはラバウルの戦地で、
つげさんは寂れた山村や集落への旅の中で、
アボサンは青森の自然の中で、体得したんじゃなかろうか。
* * *
ところで、こうした阿保的表現は、
他の漫画の中では、あまり見かけないような気がする。
模倣しようにも難しいのか、私が知らないだけか。
一応、同時代だと、
川崎苑子さんが「土曜日の絵本」(1979/4〜1980/12連載)の中で、
それらをしばしば使われているように見える。
「土曜日〜」は、ヤンチャな子供たちの日常をメルヘンチックに描いたお話で、
その背景の風景描写などを、先駆の阿保作品から取り入れたのだろう。
(※これは私の推察で、実際のところは分かりません。)
ちなみに同世代の陸奥A子さんの木々は驚くほど雑だが、特に気にならない。
奈知さんは自然はシンプルに抑えて、人物とストーリーで魅せてくれる。
近藤ようこさんは女性のラインは抜群だが、草木は頼りない。
文月今日子さんは、遠景も近景も人物もそつなく上手いけど、斬新さや生命感まではない。
アボサンが、こうした前衛的な自然の表現に挑戦していたのは、
'72年〜'82年、彼女が10代後半〜20代半ばの頃。
その後、このアボ的風景を継承して、さらに高みに発展させた人は、
本人を含め、たぶん、まだいない。
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