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 ◇ 山岸凉子 「天人唐草」 (1979年作 / 60p)
illustration ©RYOKO Yamagishi 1979 
 彼女はなぜ、こんな格好をして、「ギエーッ」と叫んでいるのか。 異様な光景です。 初めて読んだ時、まだ子供だった私は、 このドレス姿で目を見開いた女性と、 その奇声に、ショックを覚えたものでした。

 そうして実際に、街やデパートで、こんな人がいたらどうしよう、 世の中にはこんな人がいるのか。 もし会っても、この母と子のように、目を合わせないようにしようと、 真剣に考えたものでした。

 そんな場面に始まる「天人唐草」は、山岸凉子の描いた名作の一つで、 '80年代、多くの少女漫画ファンが、この洗礼を受けたのです。



「天人唐草」(山岸凉子・作)の粗筋

 羽田空港。ドレスアップした金髪の女性が現れる。 左手に傘、右手に小ケース。岡村響子30歳。 目を見開き、「ぎえーーっ」と叫びながら、闊歩する。 周囲の人々は、驚き、眉をひそめている。

 幼少期。彼女は、明るくおきゃんな少女だった。 だが、家には伝統主義者の厳しい父がいて、「女はかくあれ」と事ある毎に戒められる。 ある日、彼女は道端で可愛い花を見つける。友達に、名が「イヌフグリ」だと聞き、 夕食時に意味を問うと、母から「天人唐草」という別名の方が良いと言われ、 理由を聞くと、父に激昂される。

 小、中、高校と進むうち、様々な出来事を経て、彼女は、権威ある父を誇りに思い、 その忠告に従い、慎ましい女性になろうとする。 思春期の自然な感情は抑えられ、失敗を恐れギクシャクし、やがて退行していく。 社会に出てもそれは加速していく。人々との関わりの中で、 その事に気づくチャンスはあるのだが、運命か、踏み出せない。

 そんな中、母が急死。しばらくして、父まで。 そこで響子は、父が隠れて愛人を囲っていたことを知る。 響子とは正反対の、派手で下品な女を。 この時、彼女が追い求めてきた女性像が崩壊する。 打ちひしがれた夜の帰り道、暴漢に襲われ、彼女は心身ともに引き裂かれてしまう。 そして独り、「あの人だけは分かってくれる…」と呟く。

 ある日、彼女は道端の可愛い天人唐草の花を摘む。それ以外の名前はない。 そして彼女も綺麗に姿を整える。髪を染め、ドレスを着て。 彼女は、狂気の檻の中で、やっと解放されたのだ。



 ラストで、自由になった彼女の奇行に、 なんともいえない張り詰めた空気と恐怖を覚え、 頭がクラクラしたものでした。

 読み終わってしばらくすると、彼女が幼い頃、 庭先で友達と遊んでいた光景が甦ってきます。 本のページを戻してみると、そこには明るく元気な女の子がいました。

 そこから父親の威圧下で、 伸び伸びとした感情が抑え付けられ、押し潰されていく過程は、 緻密に組み立てられていて、彼女が様々に揺れながらも、自閉していくそのドラマに、 気づけば没入させられています。

*    *    *

 言ってしまえば、彼女の運命の手綱を握っているのは、創作者の山岸さんなのですが、 この稀な異才は、そこに救いの手をさしのべるように見せて、 しかしサド的に、悲劇へ追い詰める方向へと導いていきます。

 とうとう最後には、両親が相次いで亡くなり、 そこで信頼とアイデンティティの根本を叩き潰され、 さらには暴漢に強姦までされて、そしてあの、痛々しいつぶやき。 そこに、山岸凉子ならではというナレーションが入ります。


引用:『天人唐草』 p.62 「天人唐草」より (C)山岸凉子/朝日ソノラマ
「天人唐草」より ©山岸凉子/朝日ソノラマ



 これは、山岸凉子の冷徹さが露骨に表れた名ナレーションで、あの花を背景に、 一切の同情もなく、彼女の心理の深層を、浮き彫りにします。

 私は子供の頃、この部分の意味が、深くは分かりませんでした。 その後、大人になるにつれ、ああなるほど、本当にそうだと納得して、 その静かな指摘に、しばし考え込んだものでした。

 今はむしろ、その一言を持ってきた作者にゾッとしたり、 時には、あまりの突き放し方に、吹き出してしまうことさえあります。

*    *    *

 ところで、山岸さんといえば、 聖徳太子を主人公にした「日出処の天子」が歴史に残る名長編ですが、 私はそのストーリーもさることながら、人物たちの高度な会話術に、 感心させられたものでした。

 本作「天人唐草」でも、人間や会話の表と裏、見栄と本性などが、様々に示されますが、 その最も重大で罪深いのがあの父親で、 可憐で象徴的なのが、あの花なのでしょう。

 そうして、話の中で一見、軟派に見えた佐藤さんが、実は切れ者であり、 そんな彼が響子を「見栄っ張り」と喝破し、対して彼女がヒステリックに、 抑えていた感情を吐露するシーンは、中盤の息を呑むような山場になっています。



引用:『天人唐草』 p.48〜49 「天人唐草」より (C)山岸凉子/朝日ソノラマ
「天人唐草」より ©山岸凉子/朝日ソノラマ



 これが最後の大きなチャンスになるのですが、 その後の成り行きはご承知でしょう。しかし、ああなるとは驚きでした。 とはいえ他の形、たとえば耐えかねて自殺、となれば、 あまりに暗く、救いも、カタルシスもない。

 別に、そこから地道に回復していく、という描き方もあったでしょう。 似た系統の漫画家、近藤ようこさんなら、そうしたような気もします。 実際、教師である母親の精神的虐待から、 立ち直っていく娘の姿を描いた秀作(「アカシアの道」)がありました。

 それにしても、本作は、強いインパクトを残す結末です。 30年経っても、いや、きっと一生、忘れられないのですから。

*    *    *

 最近のバレエ漫画「テレプシコーラ」では、主人公の姉妹の一人に、 ショッキングな事が起きます。 これは、山岸先生が、最初から予定していたのか、物語の進展とともにそうなったのか、 私は知りませんが、全く予想外の出来事でした。

 その衝撃は、読んで数年経った今も強く残り、 あの健気でしっかり者の彼女がそう至るまでの、様々な出来事が、 いくつも織り重なって思い出され、 彼女の実の本心を思うと、涙が出てきます。

 それは山岸凉子という才人が、あの漫画の中で、彼女の表の面と、それを取り巻く人々を、 また現代の社会を、見事にリアリティを持って描いていたからでしょう。

 作品中そうあるように、私も彼女があの世で美しく踊っている姿を祈らずにいられません。 それは想像上のものでありながら、 しっかりと心に生きているのです。

*    *    *

 さておき、私は特に、この『天人唐草』の単行本(朝日ソノラマ版)が気に入っていて、 学生の頃に、古書店で安く見つけては買って、 これが分かりそうな友人に、読んでみてと言って、あげたりしたものでした。

 後日、聞くと、「うん、あれは凄い、面白かった」と感想を聞けたりして、 これが少女漫画を知る、一つの入り口になるかなー、 若いうちに知って感性を養っておけば、後々少女マンガを見る目や世界が広がると思って、 嬉しかったものです。

 そんな友人らは、もう立派に結婚をして、人によっては子供もいて、 そしてまたその子が成長した時、家の本棚でこの本を発見して、 開いて、さあ何を思うでしょうか。 彼女は今も、そこにいます。




2011-07-09
著者:ライラック
illustration ©RYOKO Yamagishi 1979

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□ 追記 ── 「夏の寓話」と「サマタイム」


 この『天人唐草』(朝日ソノラマ版)には、 他に3作品が収録されているのですが、 その中の「夏の寓話」(1976)は、よく見れば、 大島弓子さんの「サマタイム」(1984)に、所々似ているところがあります。

 主人公が若い青年で、町の知り合いの家へ電車で行く話の流れ。 車の混雑ぶりを見るシーン。 「ドーン」という爆裂音ほか、耳に残る擬音の数々。 ページ一面が真っ白になるハイライト。その後、夢から目覚めるところ。 タイトルも含め、「サマタイム」の原型を、私は各所に見てしまう。

 むろん、舞台もストーリーも大きく異なります。 「夏の寓話」は、都会人がH市に行き、町で一人の少女と出会い、 夢の中で、その原爆被害を追体験するというもの。 これは、最後に出てくる詩、「死んだ女の子」を参考に作られたようです。


 
 扉をたたくのはあたし  あなたの胸にひびくでしょう
 小さな声が聞こえるでしょ  あたしの姿は見えないの

 10年前の夏の朝  あたしは広島で死んだ
 そのまま6つの女の子  いつまでたっても6つなの

 あたしの髪に火がついて  目と手が焼けてしまったの
 あたしは冷たい灰になり  風で遠くへとび散った
 (〜後略) 

 ナジム・ヒクメット作詞「死んだ女の子」より / 訳・飯塚弘 
 (引用:『天人唐草』 p.165 「夏の寓話」より) 



 最後にあるこの詩を読んで、 ページを、花火をする前、少女が主人公の部屋のガラス戸を叩くシーンに戻すと、 そこからの展開が、いっそう強く胸に迫ってきます。

 ただ終盤に、 「広島!」という言葉や、当地の大会や原爆ドームなど、直接的な表現が続き、 やや押し付けがましくなり、 またラストで、主人公が、(ページ進行と反対の)右を向いて俯いて終わるため、 後ろ向きな、重苦しい気分になります。 絵もちょっと雑なところが見られ、評価が難しいです。

 しかしこの「夏の寓話」や、阿保さんの「あかいくつ」があったから、 大島さんの「サマタイム」も生まれたのだとしたら、 本作の価値も再考しなければなりません。




2011-07-09
著者:ライラック
illustration ©RYOKO Yamagishi 1979


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