彼女はなぜ、こんな格好をして、「ギエーッ」と叫んでいるのか。
異様な光景です。
初めて読んだ時、まだ子供だった私は、
このドレス姿で目を見開いた女性と、
その奇声に、ショックを覚えたものでした。
そうして実際に、街やデパートで、こんな人がいたらどうしよう、
世の中にはこんな人がいるのか。
もし会っても、この母と子のように、目を合わせないようにしようと、
真剣に考えたものでした。
そんな場面に始まる「天人唐草」は、山岸凉子の描いた名作の一つで、
'80年代、多くの少女漫画ファンが、この洗礼を受けたのです。
「天人唐草」(山岸凉子・作)の粗筋
|
羽田空港。ドレスアップした金髪の女性が現れる。
左手に傘、右手に小ケース。岡村響子30歳。
目を見開き、「ぎえーーっ」と叫びながら、闊歩する。
周囲の人々は、驚き、眉をひそめている。
幼少期。彼女は、明るくおきゃんな少女だった。
だが、家には伝統主義者の厳しい父がいて、「女はかくあれ」と事ある毎に戒められる。
ある日、彼女は道端で可愛い花を見つける。友達に、名が「イヌフグリ」だと聞き、
夕食時に意味を問うと、母から「天人唐草」という別名の方が良いと言われ、
理由を聞くと、父に激昂される。
小、中、高校と進むうち、様々な出来事を経て、彼女は、権威ある父を誇りに思い、
その忠告に従い、慎ましい女性になろうとする。
思春期の自然な感情は抑えられ、失敗を恐れギクシャクし、やがて退行していく。
社会に出てもそれは加速していく。人々との関わりの中で、
その事に気づくチャンスはあるのだが、運命か、踏み出せない。
そんな中、母が急死。しばらくして、父まで。
そこで響子は、父が隠れて愛人を囲っていたことを知る。
響子とは正反対の、派手で下品な女を。
この時、彼女が追い求めてきた女性像が崩壊する。
打ちひしがれた夜の帰り道、暴漢に襲われ、彼女は心身ともに引き裂かれてしまう。
そして独り、「あの人だけは分かってくれる…」と呟く。
ある日、彼女は道端の可愛い天人唐草の花を摘む。それ以外の名前はない。
そして彼女も綺麗に姿を整える。髪を染め、ドレスを着て。
彼女は、狂気の檻の中で、やっと解放されたのだ。
|
ラストで、自由になった彼女の奇行に、
なんともいえない張り詰めた空気と恐怖を覚え、
頭がクラクラしたものでした。
読み終わってしばらくすると、彼女が幼い頃、
庭先で友達と遊んでいた光景が甦ってきます。
本のページを戻してみると、そこには明るく元気な女の子がいました。
そこから父親の威圧下で、
伸び伸びとした感情が抑え付けられ、押し潰されていく過程は、
緻密に組み立てられていて、彼女が様々に揺れながらも、自閉していくそのドラマに、
気づけば没入させられています。
* * *
言ってしまえば、彼女の運命の手綱を握っているのは、創作者の山岸さんなのですが、
この稀な異才は、そこに救いの手をさしのべるように見せて、
しかしサド的に、悲劇へ追い詰める方向へと導いていきます。
とうとう最後には、両親が相次いで亡くなり、
そこで信頼とアイデンティティの根本を叩き潰され、
さらには暴漢に強姦までされて、そしてあの、痛々しいつぶやき。
そこに、山岸凉子ならではというナレーションが入ります。
「天人唐草」より ©山岸凉子/朝日ソノラマ
これは、山岸凉子の冷徹さが露骨に表れた名ナレーションで、あの花を背景に、
一切の同情もなく、彼女の心理の深層を、浮き彫りにします。
私は子供の頃、この部分の意味が、深くは分かりませんでした。
その後、大人になるにつれ、ああなるほど、本当にそうだと納得して、
その静かな指摘に、しばし考え込んだものでした。
今はむしろ、その一言を持ってきた作者にゾッとしたり、
時には、あまりの突き放し方に、吹き出してしまうことさえあります。
* * *
ところで、山岸さんといえば、
聖徳太子を主人公にした「日出処の天子」が歴史に残る名長編ですが、
私はそのストーリーもさることながら、人物たちの高度な会話術に、
感心させられたものでした。
本作「天人唐草」でも、人間や会話の表と裏、見栄と本性などが、様々に示されますが、
その最も重大で罪深いのがあの父親で、
可憐で象徴的なのが、あの花なのでしょう。
そうして、話の中で一見、軟派に見えた佐藤さんが、実は切れ者であり、
そんな彼が響子を「見栄っ張り」と喝破し、対して彼女がヒステリックに、
抑えていた感情を吐露するシーンは、中盤の息を呑むような山場になっています。
「天人唐草」より ©山岸凉子/朝日ソノラマ
これが最後の大きなチャンスになるのですが、
その後の成り行きはご承知でしょう。しかし、ああなるとは驚きでした。
とはいえ他の形、たとえば耐えかねて自殺、となれば、
あまりに暗く、救いも、カタルシスもない。
別に、そこから地道に回復していく、という描き方もあったでしょう。
似た系統の漫画家、近藤ようこさんなら、そうしたような気もします。
実際、教師である母親の精神的虐待から、
立ち直っていく娘の姿を描いた秀作(「アカシアの道」)がありました。
それにしても、本作は、強いインパクトを残す結末です。
30年経っても、いや、きっと一生、忘れられないのですから。
* * *
最近のバレエ漫画「テレプシコーラ」では、主人公の姉妹の一人に、
ショッキングな事が起きます。
これは、山岸先生が、最初から予定していたのか、物語の進展とともにそうなったのか、
私は知りませんが、全く予想外の出来事でした。
その衝撃は、読んで数年経った今も強く残り、
あの健気でしっかり者の彼女がそう至るまでの、様々な出来事が、
いくつも織り重なって思い出され、
彼女の実の本心を思うと、涙が出てきます。
それは山岸凉子という才人が、あの漫画の中で、彼女の表の面と、それを取り巻く人々を、
また現代の社会を、見事にリアリティを持って描いていたからでしょう。
作品中そうあるように、私も彼女があの世で美しく踊っている姿を祈らずにいられません。
それは想像上のものでありながら、
しっかりと心に生きているのです。
* * *
さておき、私は特に、この『天人唐草』の単行本(朝日ソノラマ版)が気に入っていて、
学生の頃に、古書店で安く見つけては買って、
これが分かりそうな友人に、読んでみてと言って、あげたりしたものでした。
後日、聞くと、「うん、あれは凄い、面白かった」と感想を聞けたりして、
これが少女漫画を知る、一つの入り口になるかなー、
若いうちに知って感性を養っておけば、後々少女マンガを見る目や世界が広がると思って、
嬉しかったものです。
そんな友人らは、もう立派に結婚をして、人によっては子供もいて、
そしてまたその子が成長した時、家の本棚でこの本を発見して、
開いて、さあ何を思うでしょうか。
彼女は今も、そこにいます。
|