review
   アボサンinfo.作品レビュー阿保美代の作品 
 シリーズ
 ◇ ある村の詩(4連作)
illustration ©MIYO Abo 1976-1980 
 ▽ パウルの誕生日  ▽ 緑の雨がさ  ▽ トトのこねこ  ▽ わたがしの日  ※ 概評


 '79年に花開く、「たんぽぽ〜時計草だより」へと続く、 アボサンの欧風メルヘンの舞台となる村は、どこに始まるのでしょうか。

 '75年の作品、「霧の向こうに…」に、駅員さんのいる、森と霧に包まれた村が出てきますが、 連作として同じ村が描かれるのは、'76年の「シリーズ・ある村の詩」からのようです。 この"小さな村"こそ、その後、町へと発展していく舞台かもしれません。

 それはヨーロッパの、都会から離れた田舎の村で、 馬車の通る小さな駅と看板があり、一人の駅長さんがいる。 周りを、緑豊かな森林や、小高い丘に囲まれ、人々が平和に生活している。


 

引用:『陽だまりの風景』 p.13 「パウルの誕生日」より (C)阿保美代 / 講談社
小さな村の駅の看板 〜「パウルの誕生日」より
(©阿保美代 1976/講談社)


 '72年のデビューから、着々と実力を付けていった阿保先生が、 「週刊少女フレンド」誌上で、この連載を始めたのは、 '76年4月(第7号)。このシリーズは同10号まで4回続きます。 (その後「ロマンシリーズ」へ)。

 本シリーズの作品は4つ。"その1"が「パウルの誕生日」、同2が「緑の雨がさ」、 3が「トトのこねこ」、4が「わたがしの日」。 単行本『陽だまりの風景』では、なぜかこの順序が変わり、 「わたがし」「パウル」「トト」「緑」の順になっています。

 以下で、元の発表順に則って、それぞれご紹介します。




 ▽ パウルの誕生日  ▽ 緑の雨がさ  ▽ トトのこねこ  ▽ わたがしの日  ※ 概評


 
パウルの誕生日 〜ある村の詩 その1〜   


 主人公は、パウルという名の少年と、父親。 父がパウルに、誕生日に欲しいものを聞くと、 「銀河鉄道に乗って星の旅をしたい」と、目をキラキラさせて答える。

 困った父は、駅長さんに相談。 実はパウルの母は亡くなっており、父は「母は星になった」と伝えていた。 だからパウルは、その星を見に行きたいのだ。 二人は、村の丘陵、点在する家々を眺めながら、考える。



引用:『陽だまりの風景』 p.14 「パウルの誕生日」より (C)阿保美代 / 講談社
「パウルの誕生日」 p.4より
(©阿保美代 1976/講談社)


 そして4歳の誕生日。夜、父はパウルを「銀河鉄道に乗ろう」と誘い、 目を瞑らせ、一緒に駅長の用意した馬車に乗る。 パウルが目を開けると、窓の外は綺麗な星々。

 パウルが「母の星はどれ?」と問うと、父は「あの青い星だよ、鉄道はとまれないけれど」と答える。 「将来、銀河鉄道の運転手になって行くんだ。なれるよね?」とパウル。 父は優しく、「うん」と応える。やがてパウルは安心して眠ってしまう。

 夜の村の遠景。丘をカラカラと音を立てて移動する馬車が見える。 丘一面に点在する家々の窓が、星のように光っている。 ラストは、冒頭のシーン(パウルの家と村の風景)の夜版。 先の青い星だろうか、パウルの家の窓明かりが一際輝いている。



引用:『陽だまりの風景』 p.18 「パウルの誕生日」より (C)阿保美代 / 講談社
「パウルの誕生日」 p.8より
(©阿保美代 1976/講談社)


 前半の、昼間の風景がラフなのは、意図的なものか。 山の稜線も木々も、サラッと描かれ、生命感まではない。 夜の風景は良い。背景の線や木の重なりが、独特の効果を出している。 西洋の画家に、こんな絵を描く人がいたかもしれない。

 これもまたじっくり読んで入り込むと、 何とも素晴らしい作品だと思う。本当にどう読むかで、全く価値が変わってくる。 テーブルに、ティーセットに、花瓶に野の花。インテリアの元もここにある。 優しい人々も。星の瞬く幻想的な風景も。

 アボメルヘンの原点がここにある、という気がする。 パウルの家は、絵本『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートン著)を思い出す。 あの最初のシーンにも重なる。





 
緑の雨がさ 〜ある村の詩 その2〜   


 阿保先生ご自身が、好きな作品として挙げられている作品。 冒頭の絵から印象的で、そのセンスが発揮されている。 独特の木の描き方、空間の使い方。 こういう絵を描く漫画家って他にいたんだろうか。


引用:『陽だまりの風景』 p.27 「緑の雨がさ」より (C)阿保美代 / 講談社
「緑の雨がさ」 p.1より
(©阿保美代 1976/講談社)


 主人公は、ネムという名の少年。傘で遊ぶのが大好き。 黒い傘を渡すと、コウモリのように飛ぼうとし、 水色は川で乗ろうとし、 黄色だと花火だと言って振り回し、傘を壊してしまう。 母親も困りつつ、なじみの傘屋へ。

 傘屋の主人に緑色の傘を勧められ、ネムはそれを買ってもらう。 緑は魔法の色と聞いたネムは、早くその傘をさしたくて、雨が降るのを心待ちにする。 ついに雨の日がきた。彼は母を誘って散歩に出る。 森の近くの草原へ。


引用:『陽だまりの風景』 p.29 「緑の雨がさ」より (C)阿保美代 / 講談社
「緑の雨がさ」 p.3より
(©阿保美代 1976/講談社)


 ネムは緑の傘をさして、まるで葉っぱの子だ、魔法の子みたいだと言って、 笑いながら、雨降る草原を駆け回る。

 いつしか、草原からネムの姿が消える。母はネムを呼ぶが、答えはない。 目の前には、緑の木々と森と、雨のそぼ降る大きな空が広がっている。


引用:『陽だまりの風景』 p.31 「緑の雨がさ」より (C)阿保美代 / 講談社
「緑の雨がさ」 p.5より
(©阿保美代 1976/講談社)


 全体のセンスもいいし、話も良い。 傘をさしたネムが遊ぶ、動きを感じる絵も良い。 ラストシーンも見事で、これは、つげ義春の「海辺の叙景」に近いかもしれない。

 読者は、ここで、半ば置いていかれるというか、最後どうなったのか分からない。 私は、しばし画面に見入って、何ともいえない気分に陥る。 ネムは草原の中にいるのかいないのか、魔法の傘で、緑の葉に融け込んでしまったのか。

 そこに現実と幻想の境目を漂うような感覚があって、不思議な余韻が残る。 優れた叙情メルヘンの一つだと思う。





 
トトのこねこ 〜ある村の詩 その3〜   


 タイトル絵は、葉のいっぱい付いた木の枝。自然というより、装飾的な描き方。 その中に、一匹の黒猫を抱えた、幼い少年トトの姿。

 若い夫婦と、一人息子トト。ある日、両親は彼に、一匹の可愛い子猫をプレゼントする。 トトは猫に水色のリボンをつけ、鈴はつけず、仲良く遊ぶ。 彼らはすぐに互いが大好きになる。 夜はトトがシーツを猫にかけて、トトが風邪を引いてしまうほど。


引用:『陽だまりの風景』 p.21 「トトのこねこ」より (C)阿保美代 / 講談社
「トトのこねこ」 p.3より
(©阿保美代 1976/講談社)


 ところが、ある日、子猫は姿を消す。トトは近所を探すが見つからない。 母は、駅長さんから、猫が外で犬に噛まれて死んでいたことを聞き知るが、 トトがショックを受けるのを恐れて言い出せない。 父親はそのことを聞いて、思案する。

 子猫が3日戻らず悲しむトト。 その夜、父親は彼を庭に連れ出し、夜空を見上げて言う。 「星の輝きは、天使が迷子の猫を探すロウソクの灯」だと。 そして「猫が可愛いすぎると、天使が連れていってしまう」と。 そう聞いたトトは泣きじゃくり、やがて眠ってしまう。


引用:『陽だまりの風景』 p.25 「トトのこねこ」より (C)阿保美代 / 講談社
「トトのこねこ」 p.7より
(©阿保美代 1976/講談社)


 その夜、トトは夢を見る。 ロウソクを持った天使が、あの子猫と一緒に、星空を駆けていくのを。 そして、その天使の顔が、トトそっくりなのを…。

 広い銀河のような、満天の星空は、なかなか綺麗だ。 猫は頭の大きい描き方。父親の表情、正面に近い顔に、違和感がある。 話は、切なく優しいメルヘンファンタジーに仕上げられているが、 個人的には、ラストがちょっと甘い気がする。





 
わたがしの日 〜ある村の詩 その4〜   


 再び主人公はパウル。村は「わたがしの日」。家々から甘い匂い。 これを食べると、いつか綿雲にのって天使に会えるという。 パウルの父親は、母のいない彼のために、台所に立ち、わたがしを作るが、 失敗作ばかり。

 泣くパウル。父は何かを閃き、外へ散歩に誘う。丘の上、一面に、わたがし状の花々。 父は、「これがお前のわたがしだよ」と言う。 パウルは一本取って口にするが、苦くて食べられない。 彼は、「これ、わたがしじゃない。天使に会えない。」と泣いてしまう。


引用:『陽だまりの風景』 p.5 「わたがしの日」より (C)阿保美代 / 講談社
「わたがしの日」 p.2より
(©阿保美代 1976/講談社)


 そこへ春の日の光と、優しい風。 一本の花から、綿毛が、ふわっと飛んでいく。それを見る父、そしてパウル。 続いて、丘一面の花から、たくさんの綿毛が、上空の雲の切れ間に向かって、飛んでいく。

 気づけば二人は心が満たされて、並んで幸福そうにそれを眺める。 父親が「パウル、おいしいかい?」と尋ねると、 彼は「うん、とっても!」と力強く答える。


引用:『陽だまりの風景』 p.10 「わたがしの日」より (C)阿保美代 / 講談社
「わたがしの日」 p.7より
(©阿保美代 1976/講談社)


 …この作品は、私にはよく分からない。 最初の村の風景や、台所の絵は好きなのですが、 途中、草原で、「これがわたがしだよ」というシーンは、どう捉えていいのか。 実際に、わたがしが広がっているなら、空想的すぎないか。

 また最後、パウルが喜ぶ前、二人が光輪に包まれる、次のコマ。 黒い背景に、白い綿の花が二つ並び、左奥の空に向かって綿毛が飛んでいく。 これは二人の姿の暗喩のようですが、ここも私の感性では付いていけない。

 本作が、単行本の最初を飾るのは、全体的に明るいからかな。 私は、元の順番(「パウルの誕生日」から)でも良かったのでは、と思う。 村の看板も出てきますし。





illustration ©MIYO Abo 1976

 △ パウルの誕生日  △ 緑の雨がさ  △ トトのこねこ  △ わたがしの日  ※ 概評


 
□ 概評 ── アボメルヘンの原点


 初期の頃の、こうした作品を、時々開くと、 やはりこの時期にはこの時期の、ぎこちない硬さとともに、 若くて清新な力があって、やっぱり良いなーと思う。

 「パウルの誕生日」には、アボサンのメルヘン心の根元を見る気がする。 繰り返し読める。昼の風景と、夜の光点を、ページをめくって見比べたり。 そこから色々想像されて、優しい気持ちに浸れる。 描かれない部分の豊かさ!

 「緑の雨がさ」もいい。これは、後の阿保作品にはない終幕の仕方。 読み手が、風景の中に置いてかれるような感じ。 緑の木々や雨の描き方も上手い。具象抽象が入り混じり、 妙なリアルさがあって、惹き込まれる。

 「トトのこねこ」、「わたがしの日」は、良いシーンもあるけど、ちょっと甘い感じがする。 特に後者は、いまだ私には入っていけないです。

*    *    *

 何にせよ、これらは、1976年、21歳の阿保さん以外、 永遠に誰にも描けない作品群となったでしょう。そう思うと貴重です。

 そんな阿保さんは、この3年後、「たんぽぽだより」の頃には、 抜群に絵も表現も上達していきます。 それは"花開く"というより、"爆発"に近い。 もうこの時期になると、言葉が出てこない。作品に言葉が全く追いつかない。


引用:『時計草だより』 p.170 「大きなトランク」より (C)阿保美代 / 講談社
小さな町の駅の看板 〜「大きなトランク」より
※絵は丸みを帯びているが、形状は「小さな村」のものと同じ。
※この作品で、「小さな村」は、「小さな町」へ名前を変える。
(©阿保美代 1980/講談社)


 その舞台となる村は、石畳の舗装がなされ、塔や煉瓦造りの家が並び、 様々な職業の人々が住んでいます。 『時計草だより』の「大きなトランク」(1980)を見ると、 看板も駅長さんも、'76年の小さな村のものと同じに見えます。つまり、ここから発展していったわけです。

 以後、この村や町で、きらめくようなメルヘンが展開されていきます。 それは、「くずの葉だより」('81〜)に受け継がれ、'82年末、「落ち葉の町」で終わりを告げるまで。

 その始まり、原点が、この「ある村の詩」でした。 私はここに、阿保さんの、開き始めたメルヘン心の蕾を見るような気がして、 今も、この古くなった『陽だまりの風景』を大事にしています。 いつか『作品集』や『全集』といった形でも見たいんですけどね。





2011-08-11
著者:ライラック
illustration & poetry ©MIYO Abo 1976-1980

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