「峠のあかり」は、絵の手触り感といい、優しい言葉といい、夜の幻想性や、温かい光の表現まで、
巧みな阿保タッチで描かれた逸品です。
収録された『お陽さま色の絵本』には、狂気を感じるものから、明るいメルヘン、
抒情詩的なもの、切ないドラマ、乙女チックな作品まで多彩にありますが、
本作は、心が暖かくなる、絵本のような作品です。
子供の頃、真夜中といえば、未知で恐ろしい世界ではなかったでしょうか。
そんな夜に目覚めてしまった少年の、ふたたび眠るまでのお話。
* * *
少年タムは、ある夜、寝付けず、起きてしまいます。
耳を澄ましても、家中、村中まで、しーんと静かです。窓の外を見ると、真っ暗な夜の闇が広がっていて、
世界中で自分だけ起きているような気がして、いっそう不安になります。
窓の外を眺めると、遠く木々の向うに連なる山々の、ぼんぼり峠に、
わずかな光が見えます(写真下)。
お分かりになるでしょうか。右の山のてっぺん近くの、星のような光。
これは夜回りのテレンスさんの家の明かりです。
2ページ目の最下段コマ。遠くの峠に、小さな光を見つける。
(『お陽さま色の絵本』 p.39より ©阿保美代/講談社)
画面はタムの視点から離れて、テレンスさんの仕事ぶりが描かれます(写真下)。
彼は毎夜、暗い森の中を、ロウソクランプを持って、見回りに行く。
夜の動物たち、フクロウさんや白ウサギさん、みんなの安全を確かめます。
そしてお星さまにも挨拶。「今夜の空はとても滑らかなので、
すべったり迷子にならないようにね」。
細かい網目の背景に樹木の並ぶ幻想的な絵に、何ともメルヘンチックな言葉が重なります。
3ページ目の下段コマ。テレンスさん、夜の森を見回り。
(『お陽さま色の絵本』 p.41より ©阿保美代/講談社)
次のページをめくると、今度はテレンスさんの家の中が映し出されます。
明るい電球のもと、ストーブの上でシチューがコトコト音を立てている。
そうしてこの家の窓から漏れる明かりが、遠くのタムの心に、こう届くのです。
「ぼくが起きているから、安心してぐっすりおやすみ」。
家の窓明かりに、テレンスさんの手提げランプが重なって、
そこから幾重にもじんわり光が広がって、タムの心に温かさが伝わります(写真下)。
テレンスさんの優しい声が、こちらまで聞えてくるようです。
4ページ目の下段コマ。光が輪のように広がり、タムに届く。
これは、タムが峠の小さな光から膨らませた心の中のイメージ。
(『お陽さま色の絵本』 p.42より ©阿保美代/講談社)
それで心が満たされたタムは、そちらに向かって優しく少し手を振って、
安心したのか睡気がやってきて、ゆっくりと布団に入り、眠りにつきます(写真下)。
最後の場面は、峠を上るテレンスさんの後姿。
その先に彼の家。窓から光が漏れ、煙突からは湯気がモクモクと。
その向こうに、満天の星空と、綺麗な流れ星が描かれます。
テレンスさんが、いつも通り夜回りを終え、家路についたのでしょう。
作品は、このシーンでおしまいです。
私は、しばしこのシーンに見入って、何とも言えない気分に浸ります。
5ページ目、上段。タムの手の膨らみや、上げ具合や角度も良い。
2段目、眠くなり、布団に入り、眠るタムの様子が3連コマで。
下段、仕事を終えたテレンスさんが帰路につくラストシーン。
(『お陽さま色の絵本』 p.43より ©阿保美代/講談社)
ちょっと不思議な作品ではないでしょうか。
実際、テレンスさんはこの夜、タムに対して何もしていません。
彼は家の電球をつけたまま、森へ見回りに行って帰ってきただけです。
今晩のタムの不安も知らないし、何も意識していません。
寝付けないタムは、しーんとした家の中で孤独感を募らせますが、
峠の小さな光を見て、そこに今も起きている他者の存在を感じ、安らぎ、眠りにつくのです。
そうさせたのは、タムの心の中にいる普段の優しいテレンスさんのイメージなのでしょう。
きっと二人の間には親交があったのでしょう。それは作中には書かれていません。
でも、この背景には、阿保さんによるイメージ豊かな世界があって、
そこにまで想像を寄せると、
この作品はさらに膨らみを増していきます。
* * *
アボサンの好きな絵本「スノーマン」
(レイモンド=ブリッグズ著)では、
雪だるまを作った少年が、その夜眠れず窓の外を見て、幻想的な一夜が始まります。
命が宿ったスノーマンを家に案内し、そして空に飛び立ちます。
その美しい絵による夜のファンタジーと、切ないラストシーンも秀逸でした。
また、「ふくろうくん」(アーノルド=ローベル著)
という絵本の最後に、「おつきさま」という話があります。
夜、主人公が、空のお月さまに語りかけますが、返事はありません。
でも月は散歩する彼をどこまでも追いかけてきて、優しく照らします。
しまいに彼は感動して、ベッドでぐっすり眠れるというものでした。
どちらも夜を舞台に、無垢でユーモアに溢れた作品で、
それは、宇宙に独りだけいる自分と、それを見守る存在を描いているようです。
阿保先生は、こうした絵本からも一部着想を得ていたのかもしれません。
* * *
本作も、ゆっくり読めば、なんという優しい作品でしょう。
最後のシーンを見ていると、何かが心の底からこみあげてきます。
だって彼はタムに対して、このとき何もしていないのですよ。
一コマ一コマに目をやれば、絵も細かい手技の味わいがあり、言葉も洗練されています。
夜の幻想的なイメージ、幼いタムの仕草、テレンスさんの人となり。光の表現。
それらが高いセンスと手腕で、一篇の作品に編み上げられて、
その端々に、メルヘン作家・アボサンの優しい心が滲み出ている。
「峠の明かり」は、本当に遠い、わずかな光なんです。
そんな小さな光であっても、闇の中にいる人の心に、
明るい希望を灯らせることがあるのでしょう。
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