『陽だまりの風景』を読んでいると、作風も絵柄も色々あって、
そこに若い阿保先生の清新な意欲が漂っています。
優しいメルヘン、抒情的なもの、乙女チックなもの、
フランス映画の香り漂うもの、欧米的なファンタジー作品まで。
作品毎にタッチや人物の造形が異なるのは、模索の時期であったと同時に、
様々なものを吸収しながら、作品の世界に合わせて、
独自のものを創作しようと希求されていたからではないでしょうか。
この「バクのゆめ」は、そんな頃に描かれた作品の一つ。
時代や国境に左右されない、完成度の高いものに仕上がっています。
* * *
ある晴れた日の夜、お月様はカンテラを持って、空の散歩に出かけます。
と、どこかで泣き声が聞こえます。近づいてみると、大木の陰で、
誰かが泣いているではありませんか。見れば、バクでした。
人の悪夢を食べる獣です。
『陽だまりの風景』 p.100〜101 ©阿保美代/講談社
お月様が泣いている訳を尋ねると、バクは悩みを打ち明けます(写真上)。
「私の務めは悪夢を食べることですが、夢は悪いほど美味しいので、
空腹の時には、人が悪い夢を見るように祈ってしまう。
そんな自分がつくづく嫌になった」と。
ページをめくると、長い鎌を持ち黒マントに骸骨の死神を、大きなバクが包み込み、呑み込む絵。
その左下に小さく、自失したバクの姿も重ねられる。
そこから、無垢な瞳のバクの顔のアップ。
彼は、「どんなものでもいいから自分で夢を見たい」と強く訴えます。
『陽だまりの風景』 p.102より ©阿保美代/講談社
それを聞いたお月様は、落ち着いてバクを諭します(写真上)。
「人の悪夢を食べるのが、あなたの務めなのだから、それは叶わない夢」だと。
バクは泣き止みません。お月さまは、持っていたカンテラをどこかに置いて、
優しく両手でバクの頬を撫で、「さあ泣かないで、今夜も出かけなさい」(写真下)。
「悪夢を食べて人に安らぎを与えるなんて、他の誰にも出来ない素晴らしい務めですよ」と。
『陽だまりの風景』 p.103より ©阿保美代/講談社
そうして、お月様は、明るく元気に両手を広げて、バクを送り出します。
それを見たバクは、寂しそうな顔でうつむき、やがて観念したのか、夜空に飛び立つのです。
最終ページ。飛び立つバクの周りに、絹糸のような流麗な描線が連なり、
それを見送るお月さまの姿。そこに、「バクは、知らないのだ……」で始まる、彼の心の内が書かれます。
読み手がハッとさせられるような言葉です。
最後の大ゴマは星が瞬く夜空に、風のような流線、その中央に真っ白な満月が描かれ、
バクが飛ぶ姿の影が映る。
幻想的で、切ないラストシーン。
バクの心や、最後のお月さまの言葉を知れば、一層深い余韻が残ります。
* * *
ところで、この夢を食べる獣。元は、
古代中国で想像された「獏(ばく)」という霊獣だそうです。
象やサイや牛や虎を合わせた、イカツい狛犬のような容貌で、
邪気を払ったり、悪夢を食べるとされて、人々は枕元にその絵を置いたとか。
アボサンは、ここでは、実在の哺乳類バクを元にして描かれていますが、
きっとこのほうがメルヘンらしく、多くの人のイメージにも合うのではないでしょうか。
アリクイのような体と長い鼻で、夢をパクパク食べるような。
本作は、そんな夢を食べるバク自身が、そもそも一つの夢や幻であるという幕で、
さらに一段視点を引けば、そう語る月の精だって、阿保さんの創作の産物です。
更にそれを読んでいる私がいて、それだって一段引けば、もしや…と、様々な思いがよぎります。
カンテラの光の周囲の背景は、細かい点描や、線を重ねた掛け網。
(『陽だまりの風景』 p.100より ©阿保美代/講談社)
さて、私はこの作品の絵も好きなのですが、1ページ目のお月さまの顔(写真上)、
この全体のデザインなど、阿保先生は何から学んで創り出したのでしょう。
当時の日本漫画というより、欧米の新聞や雑誌、漫画やイラストにありそうな。
この本に収録された「霧のむこうに…」という作品の中に、
ムーミンの絵に「Moomin♡」と書かれたコマが出てきます。
その作者ヤンソンも、挿絵で細かい掛け網を使って陰影を描いているので、
そこからも学ばれているのでしょう。
ただ、この絵柄の阿保作品は本作だけなんですよね。
他では一部似ていても、全体がここまでカチッと完成されていない。
私はこの絵で他の作品も見たかったですが、無いようです。
先生は、この絵では独自性や広がりが出ないと考えられたのかもしれません。
* * *
この作品が収録された『陽だまりの風景』は、
阿保さんの本の中でも版を重ねていたようで、今も比較的手に入りやすいようです。
もしまだお持ちでない方で、興味を持たれたら、一度手にとってみられたらどうでしょう。
それは最初、今の漫画と比べると、薄っぺらく映るかもしれません。
でも隅々までゆっくり目を通してみてください。
そこには、しっかり創作の魂が込められていて、容易に消費されない力があります。
私など、今も読むたびに発見があって、それが嬉しい。
本作も、そんな阿保さんの力量の一端を示す、メルヘンファンタジーの小編です。
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