私には分からない作品です。どう捉えていいのか、
阿保先生の感性に付いていけない。
しかし何か遠く深いところから、ゾクッとするものを感じさせる。
恐らくこれも、珠玉作と言って良いのではないでしょうか。
* * *
物語は、ゴミ箱の底に捨てられた"茶碗の欠片"の絵から始まります。
「どうしてこんなところにいるんだろう こんなにバラバラになって……」。
かつてその茶碗は、陽の当たる家庭のテーブルに、急須や花瓶と一緒に、いたのでした。
そこには鞠をつく少女の絵付けがありました。
ある時、その家の女の子が手を滑らせて、茶碗は割れてしまいます。
母親は、「いつかは壊れるのだから仕方ないのよ」と、娘を慰めて、
割れた欠片をゴミ箱に捨てたのです。
それが最初のページで語られ、2ページ目では、その"茶碗の欠片"を主役に、
現状への不満と、幸せだった頃の回想が、実感を伴った表現で綴られます。(写真下)
2ページ目の中段のコマ。茶碗による、幸福な時を想うモノローグ。
このコマの前後で、茶碗の欠片は、もはや希望を失い、割ったあの子が悪い、と不満を述べ、
やがて「もうおしまいだ…」と絶望し、全てを諦めた様子です。
この時点で、読み手は最初、話に入りづらいかもしれません。
主役が無機物の破片では感情移入しづらいし、
誰だって、割れた陶器なんて、捨ててそれで終わりでしょう。
でも、めくって次のページに行きましょう。
* * *
写真(下)をご覧ください。
場面は夜、暗い部屋の中、ゴミ箱の底に茶碗の欠片。
やがてそこから、細い星屑のようなものが、
一筋に上がっていきます。
右ページ4コマ目は、断ち切りの大ゴマ。
床から見上げたアングルに、パースをつけた大きな窓枠が描かれ、
そこに木の枝葉の陰と、真っ白な満月が映っている。
そこに向かって、茶碗の欠片から、キラキラと蒸気のようなものが昇っていく。
まるで、割れた茶碗の魂が成仏するようにも、天に昇華されていくようにも見えます。
読者の目線は下から上へ行き、また下へ向かい、最後に跳ね返って…。
左のページへ。
まず夜の星空と満月を正面から見据えたような絵の大ゴマ。
画面の上下に木の枝葉が見える。
右上の小さなフキダシに、「お月さま……」の文字。
浄化された茶碗のセリフでしょうか。
次のコマは、枝葉のみで月は見えず、、最下部のフキダシに台詞、
「私は何を今まで、ぶつぶつ独りごとを言っていたのでしょう」。
苦悩から覚めたような口調です。
3コマ目。中央に手の先。その上から星屑のようものが降り注ぎ、
その下方に、白い丸。これが何かは、4コマ目で分かります。
鞠をつく着物姿の少女の絵。
月は鞠と化したようです。
上に小さく、「おまえ…」の台詞。
こう言える立場は、月でしょうか。
* * *
めくって最終ページ(横長の3コマ)に行きます。
最初に、微笑する少女の姿。
右に、「いいよ おいき」 「好きなところにお行きよ」。
左に、「わたしは ねむりたい」の言葉。
2コマ目、白い背景に霞や風のような描線があり、
右に、「お月さま お月さま」の呼びかけ。
最後は大ゴマ。宇宙のような真っ黒な背景の中、
中央やや下に、着物の少女が鞠をつきながら、奥へと向かって歩いていく。
少女の周囲には少し星屑のような光が瞬く。
少女がどこへ行くのかは分かりません。
そうして、最後の問い掛けが書かれます。それは一見、甘い同情のようでもありながら、
透き通って鋭い、心に突きつけられるようなメッセージです。
* * *
それにしても、不思議な作品です。
当初、語りの主体であり、お月さまに心を打ち明けていた茶碗の欠片。
その苦悩を浄化させた満月。そこに寄り添う木の枝葉。
欠片から抜け出した絵付けの少女。
ひとまず、私はこう思いました。
月の光によって、茶碗の苦悩は浄化され、遺体である欠片から離れ、
そこにあった魂の具象として、少女の姿となって、
この世とあの世の境のような世界に、いるのです。
この流れは、夜の満月から、少女の手元の鞠への変化にも象徴されます。
丸は共通する形として、神秘的な生命や運命的な哀しみを、夜の月に託して表し、
無情に捨てられた茶碗の欠片の魂が、その神々しい光によって昇華される。
しかし行くあてはあるのでしょうか。それを用意するのは誰か。
最後の問いかけは、読み手に向かって、投げ掛けられます。
1ページ目の右下の小コマ。茶碗が割れる前の場面。
ここでのみ、木陰で鞠をつく少女の絵付けが確認できる。
振り返れば、それは、さり気ないテーブルの上の一コマにあっただけでした(写真上)。
別段、大して力も入っていない絵に見えます。
普通の作家でしたら、後への重要な伏線として、
もう少し鮮明に描きそうなものです。
阿保さんは、そうしません。
ですから、読者のほうが、よくよく、この作品に入っていって、気付くほかありません。
そうすれば応えてくれる。
* * *
もし、人の価値観を変える作品があるとしたら、
本作はその一つだと言えるでしょう。
読み手の想像を広げ、固定観念を揺るがして、新たにさせる力がある。
私のことでいえば、以来、現実に絵付けの茶碗や壊れた陶器を見ると、少し考えてしまう。
ただ私は、未だに、この作品の意味は分かりません。
特に最終ページのダイアローグ──「いいよ、お行き」「私は眠りたい」など、
誰が主体なのか、誰に向けて語っているのか、よく分かりません。
阿保先生は、全てを把握した上で、論理的に書いているのか、
それとも感覚的に描いているのか。
そのミステリアスさも好きで、時々開いて見るのです。
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