アボサンinfo

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阿保美代さんとは?
アボサンとわたし
 
contents
単行本リスト
作品リスト
          1977〜
陽だまりの風景
ふるさとメルヘン(1)
お陽さま色の絵本
          1981〜
時計草だより
ふるさとメルヘン(2)
くずの葉だより
          1987〜
ルフラン
夏のてじな
          1993〜
森のメルヘン
そよかぜの木
二人でつくる基本〜
 
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アボサンとわたし   

□雪だるま/著  ライラック/著 

 

▽ 出会いと再会 ▽ 作品について ▽ 自然の表現 ▽ 輝いていたもの
▽ '90年代に入って ▽ 本はアジアへ ▽ 再び日本で  


 
出会いと再会   


 私がアボサンの漫画に出会ったのは、昭和50年代のことでした。 母だか姉だかが買った単行本が家の本棚にあったのです。 それは「時計草だより」でしたか、まだ子供だった私は、 ペラペラとめくっては、その世界に入り込んでいました。 しかしそれはただ単に「可愛い絵のメルヘン漫画」という印象でした。

 アボサンの本はそれ以外にも数冊あって、読んだはずですが、あまり記憶にありません。 同級生の女の子に、「とても可愛いマンガだよ」と言って、貸した覚えはあります。 その後は何年かに一回、手に取って読む程度でした。「甘い素朴なメルヘン」として。

 十年二十年経って、最近、再び押入れの奥から取り出して、読む機会がありました。 幾つものことが鮮やかに思い出されました。 それは絵であったり、場面であったり、詩であったり。 懐かしさだけではなく、 自分の心の奥深くの、大事な部分を撫ぜられるような、嬉しい体験でした。

 この時、私の心の奥底に、阿保さんの作品が、 純粋で優しく温かい体験として、知らず知らず植えつけられていたことが 分かったのです。


 

作品について   


 今再び読み返してみて、これほど心の深くに沁みる小品群であったことに 初めて気づかされました。それを今の今まで分からず、 作者の阿保さんに申し訳ない気持ちさえあります。「珠玉」という言葉は決して言い過ぎではないでしょう。

 みな数ページの短篇です。中には寂しく悲しいものもあるのですが、 人の情操に、しんしんと訴えかけるものがあります。 久しく使っていないような深い感情を呼び起こし、時には、自然と涙がこぼれたり、 また心を引き裂かれるような思いにも打たれます。

 それは、適当に流し読みしていては気が付かない微細さでした。 ゆっくりじっくり読むと、その時その時の気持ちや経験、心の襞に合わせて、 様々に感応する場所があるのです。 そこには、優れた作品がもつ普遍性が潜んでいるのでは、と思いました。


 '70年代後半の雑誌「週刊少女フレンド」を開くと、 名作「生徒諸君!(庄司陽子)」に代表される学園ものを筆頭に、一部ギャグマンガを除き、 どこを開いても、似たような少女漫画タッチの絵柄と、ハイカラな青春恋愛ドラマで溢れています。

 阿保さんは、その中で、メルヘン部門の読み切り連載(5p〜8p)を担当されていたようです。 見ると、周りの漫画とは異彩を放つように、「ロマンシリーズ」等と題した独自のテーマと絵で、 詩情味のある質の高い作品を描かれています。

 そうした中で、確固たるスタイルと地位を築かれていったのでしょうか。その姿勢が、 現代でも通じる作品性にも繋がっているのかもしれません。



 私の好きな作品を幾つか挙げてみます。

 「楓っ子」は、しみじみと染み渡るようなお話です。 一言でいえば、「婚約を裏切られた女性の復讐」となるでしょうが、 それは絵や心語りとともに、想像を超えて、美しく昇華されています。 現代の人にこそ読んでほしい内容です。

 「あめふりてんぐ」は、爽やかな物語。 日照り続きの村を救えば、庄屋の娘をくれると聞いた天狗。 惚れた気持ちを胸に、命がけで雨を降らすけど、その子の本音を聞いて…。 その後がなんとも良い。 松の葉を眉毛にして虚勢を張り、それを独りぽつねんと外す、その素朴な表現。

 挙げていくとキリがないのですが、 作品は概して小ぶりながら、同時に斬新な表現もあり、 完成度の高いストーリー性があるのです。


 

自然の表現   


 作品をざっと見て思うのは、とにかく画面に自然が溢れていることです。 木々の枝は流麗に、花や葉は一枚一枚まで描かれ、 華やかに生命感を漂わせています。繊細な点描と、強くしなやかな線。 さりげなく装飾的な描き方にも目が惹きつけられます。

 こうした独特の目線や表現は、雪深い青森で培われたのでしょうか。 長く厳しい冬と、春の喜び。草木が萌えて、夏に盛り、秋冬に枯れ落ちる姿。 幼い頃から五感で捉えてきた、自然の移ろい、また包容力。過酷な中に潜在する生命の息吹。

 阿保さんの作品の中では、自然は人や物語と不離不可分のもので、 人は自然の中に溶け込むように存在しています。 それは舞台として、心象を表す風景として、 また感情を表す小道具として、物語の世界を彩っています。


 

輝いていたもの   


 阿保さんの作品がまぶしいほどに輝いていたのは、昭和50年代(1970年代後半〜80年代前半)でしょう。 漫画家として経験を積み、技術も磨かれ、創造性が湧き出ていた、夢のような時期です。 小粒ながら宝石のような短編が次々と生み出されます。

 コマの使い方、大胆な構図、シンプルで豊かな人の表情。絵は自由自在に踊っているようです。 細密な部分、省略する部分、新奇な趣向、その使い分け。 純朴なキャラクター、その性格、行動、可愛いセリフ。ポンポン進む物語、ハイライト。

 それらがメルヘンと結ばれて、アボサンの世界は創られていきます。 優しく包み込むような、ノスタルジックな、温かい気分に浸れる作品。 かと思えば、胸をしめつけるような、悲しく切ないお話。 心がキュンとなるような事も少なくありません。


 それはまた、別のものに美化されたものもありました。 「バビロンまで何マイル?」という印象的なタイトル(*元はマザーグースの歌)に、子供だった私は、 「いいえ、何マイル!」というフレーズで返して、頭の中で復唱しながら、 別の想像を膨らませていたものです。

 そこは砂漠の中に立つ黄金郷で、明るい太陽がサンサンと差す世界です。 優しい車掌さんが運転する汽車はシューポッポと、その夢の国へと誘う。 それはどこか、ハーメルンの笛吹きのような怪しさもありました。 私はあのタイトルのフレーズから、汽車が黄金の国へ行くという甘い夢想をしていたのです。

 最近になって、「時計草だより」を開いてその話を読んだら、全く違っていて驚きました。 実際の話は、小さな町の新聞社の記者さんが、地図屋さんと一緒に町を周るという、 素朴で可愛い作品でした。



 北の雪国で、昭和30年に生まれた阿保さんは、伝承民話の世界にも馴染んでいたのでしょう。 雪女や傘地蔵は、まさにその舞台です。 童話の中には、日本人の心や、動物や妖怪や、自然や四季の美しさまで描かれています。

 また西洋の神話やメルヘン、ファンタジーの世界への憧憬もあり、造詣も深めていったのでしょう。 進学した日芸の映画学科では、その道の専門的な手法も叩き込まれたはずです。 そうした様々なものから学び、吸収し、漫画として表現していくうちに、 いつしか独自の世界が創られていったように見えます。

 叙情詩やモノローグも、単なる女性の甘いポエムではありません。 作品の中に、伝承歌やロルカの詩の引用などがさらっと出てきますが、 阿保さんの詩や言葉には、こうした素養に裏打ちされた気品が漂うのです。


 

'90年代に入って   


 アボサンの絵は'80年代後半ぐらいから、徐々にタッチが大味になり、 まばゆい幻想性や生命感は影を潜めていきます。 たとえ絵は似ていても、オーラがなくなるというのでしょうか。 ストーリーからも心を奪うような力は消えていきます。

 キャラクターの輪郭線は、くっきりと明確なものに変わり、 自然物はあっても人間とは別個に存在してるようです。 これは本の表紙でも確認できるでしょう。 「くずの葉だより」以前のほんわかとした温かさ、それが「夏のてじな」以後になると、 もう普通のイラストです。

 バブル経済の影響もあったのでしょうか、 '80年代半ばが変わり目となり、'90年頃には、更にその傾向は顕著になっていきます。 素朴なものの価値が失われ、豪華で都会的なものが求められる、時代の要請もあったのかもしれません。

 不思議なことに、ポエムやストーリーの質どころか、絵のデッサンまで崩れていっているように見えて、 私は'90年頃の作品を見ながら、「これはアシスタントさんが書いているのだ」と、勝手に 気持ちを落ち着かせたものでした。その後、料理漫画で再び良質な絵を見せてくれて、安心しましたが。


 

本はアジアへ   


 先ごろ、ネットで検索していたら、単行本が台湾や中国で翻訳出版されていることを知り、驚きました。 それらは当地のネット書店やブログでも紹介されていて、推察するに、とても好意的に、 素晴らしい日本の童話漫画として受け入れられているようです。

 台湾や中国の方々が、素直に、また情熱的に、阿保美代の童話漫画を称賛してくれている。 30年前の日本のメルヘン漫画が、海を越えて翻訳され、現代のアジアの人々の心を動かしている。 このことは、もっと知られても良いのではないでしょうか。

 翻って今の日本では、これらコミックは全て絶版で、 新たに阿保メルヘンに触れる人は少なくなる一方です。 当然批評も静かなもので、 母国日本で絶版なのに、なぜ台湾や中国では、と、どこか腑に落ちない感もあります。 しかし需要と現実がそうさせたのだと、納得するよりありません。

 もしかしたら逆輸入のような形で日本へ、なんて話もあり得なくもない状況です。 どうであれ、日本で再評価の熱が高まるのを待つしかない、と思っています。


 

再び日本で   


 私は最近、ふたたびアボサンの本を読んでいて、全く古びていないことに驚きました。 いくつか、昔の少女漫画風のタッチのものは分かりませんが、アボサンの世界になっているものは、 優れたメルヘンとして、今も生き生きと輝いているのです。

 自然や光に溢れ、やさしさと温かさが広がるこの世界が、 今の子供にどれだけ伝わるかは分かりません。いや、きっと伝わるでしょう。 そして、そう遠くない日に、阿保さんの漫画を再び書店で見られる日が来るような気がしています。

 それは、今回再び作品群に触れて、その価値を確信したことと、同じようなファンの方々がいることと、 時代や国境を越えて21世紀のアジアの人々にも受け入れられるような作品が、 このまま埋もれることはないだろうという直観からです。

 現代の印刷品質で、阿保さんの作品が甦った時、さらにその繊細で深い表現が引き立つのではないでしょうか。 それは心のこもった漫画童話として、今の人々に優しい気持ちをあたえてくれるでしょう。





雪だるまの「アボサンとわたし」も読む


著者:ライラック 
since 2010.05.15 - updated 2010.05.29 

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