アボサンの描く風景が好き。
空気感と、光、自然の描き方。木々と風と、雪と雨と、草花、葉っぱ。
なかでも、窓の外に新緑が見えるシーンが好き。窓の外の雨とかも。
やっぱり雨降りがいいんだよね。
「10月のあまんじゃき」(ふるさとメルヘン2)で言えば、校舎の窓から見える緑と雨が好き。
泣いているツトムに、先生が「いなりずし、一緒にくうべ」と傘をさしかける場面。
そこに雨が降っている。それも1ページ殆どを使って、大きく。
「10月のあまんじゃき」より (©阿保美代 1979/講談社)
たぶんアボサンは、自然の中にある美、
その真理みたいなものを描き出せる稀有な人なんだと思う。
見る私の心が、その美に触れるから、幸福感があるのかも。
レンブラント光線ならぬ、アボサンの光と空気感、「アボサン・エーテル」とでも言おうか。
絵は二次元モノクロの点と線描なんだけど、ぼぉーっとした光や、雨や木々の匂い、
しっとりとした空気が伝わってくる。
* * *
「緑のことば」(くずの葉だより)を一例に。
この作品は、
とりわけ、耳の聞こえない少女が主人公だっていうのがポイントかもしれないけれど、
私が好きなのは、雨が顔に当たる感触。五感で──主人公にとっては四感なのかもしれないけど、
雨を感じられるような描写。
私に当たる雨、と同時に、木々に当たる、葉っぱに当たる雨も、この絵からは感じる。
雨粒が当たって、葉っぱが揺れる。一瞬一瞬。
で、木全体が、雨を受けて、潤っている感じ、木が喜んでいる感じ。
鳥が、雨をよけようとして、急いで飛んでいく様子。
「緑のことば」より (©阿保美代 1982/講談社)
少女は最初、傘を差している。その次に、(たぶん傘を下ろすんだけど、直接の描写はない)、
上を見て、雨を受けて、雨を感じている。雨音は聞こえていないけど。
彼女は、それがとても気持ちよかったんだと思う。目には緑溢れる木々。
そうしたら、向こうに、オーボエを弾いている素敵な男性がいたから、
軽い気持ちで拍手をした。そしたら驚いたことに手を振られちゃって、現実に引き戻された。
そこからの淡いロマンスも、また良いんだ。
* * *
次は、「ジロー・メルペリウスの話」(ふるさとメルヘン2)から。
昼間、雪がかなり降っているんだけど、ベタ塗りの上に、ホワイトを落としているだけなんです。
ベタ塗りは、女の子のショールと、ジローの上着。あと樹木。
それだけが墨で表現されていて、そこに、白いホワイトの点々が垂らしてあるだけで、
雪が大降りなのが、リアルに伝わってくる。
「ジロー・メルペリウスの話」より (©阿保美代 1980/講談社)
これ、最初見た時は分からなかったんだけど、よく見れば、大雪をそんな手法で表現している。
普通なら、雪を、○(小さい丸や線)で描く。
だけど、ここではそれを全く描いていない。
(左のページでは、それも併せて描いている)。
* * *
それから、まだまだ沢山あって、きりがないので最後にするけど、「時計草だより」の頃から見られる、
パースをわざと崩した町並み。このアイディアが素晴らしい。
パースを崩すということは、普通しない、する意味がない。
でもパースがそのままだと、この非日常感は、なくなる。
パースを崩すことで、おとぎばなしの世界の感覚を作っているのかな。
「木琴バードのいる町」より (©阿保美代 1980/講談社)
「10月はリンゴのにおい」より (©阿保美代 1980/講談社)
こういうのを当時、他でやってる人は、見た覚えがない。
こうして見ると、アボサンは、漫画家っていうより、デザイナー、イラストレーターみたい。
自然にしろ町並みにしろ、大胆にデフォルメしちゃったところが、すごい。
アボサン流に解釈した描き方で。
デフォルメしても、崩れない、美が保たれているのは、
アボサンの才能の表れに他ならないと思う。
目がいい。デッサン力がある。観察眼が鋭かった。
* * *
アボサンがこれを描けたのは、
東北は青森の、溢れる自然の中で育ったという環境と、
アボサン自身の感受性に基づくものだと思う。
当時'70年代の少女漫画家で他に描けた人がいたかと言えば、普通そこまで背景に力をいれない。
萩尾望都や大島弓子でも。それよりストーリーとか人物描写に力を入れる。
アボサンの場合は、風景も主役。風景と自然が、人物と同等の重みを持っている。
後の「夏のてじな」('80年代後半)あたりになると、それがなくなる。
人間のキャラクターが中心になり、自然や風景は、単なる記号や背景で、二の次になる。
それが、私を惹きつけない理由の一つ。
アボサンマジックは、自然の描写によるところがかなり大きい。
2011.05.18
著者:雪だるま
編集・構成:ライラック