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いろいろ思索 〜阿保美代さんとその作品に〜


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単行本未収録作品について (2)


 前回に引き続き、未収録作品を、いくつかここで紹介しておきます。 1981年の週刊少女フレンド第16号〜18号から、全て「くずの葉だより」シリーズ。



 赤い小径(こみち) 〜くずの葉だより 16〜
 
「赤い小径」より (C)阿保美代/講談社  少女と少年タムが森の草原でスケッチ。 少女は、絵の上手なタムにクレヨンを貸りようとするが、断られて、頭をはたかれる。 少女は草むらへ行って泣いているうちに眠ってしまい、夢を見る。

 夢の中では、乙女になった彼女が、画家となって遠くへ行ってしまう彼に、 野で摘んだ赤い花を贈るシーン。 彼女の一途な思いは、たとえ叶わなくとも、心の野に咲く赤い花の小径となって、 彼の心と繋がっている…、そんなイメージ。

 少女が目覚めた頃、タムがやって来て、「さっきはごめん」と言って、 クレヨンを貸してくれる。少女は少年に、一つ秘密を持ったと思う。

掲載誌/引用元:『週刊少女フレンド 1981年 第16号』 p.238


 「赤い小径」とは、少女の一途な恋心を、幻想的に表わしたもののよう。 その想いの表現はアボサンらしく控えめで、美しく、 成就しないような描き方になっているのがまた切ない。 実際、少女は夢から覚めた時、「とても悲しい夢を見たみたい」と呟く。

 アボサン自身が、少女時代に、こんなイメージを持ったのだろうか。 甘く優しく切ないメルヘンだ。風景の描写はまさに阿保ワールドだが、やや粗も見える。




 水の中の瞳 〜くずの葉だより 17〜
 
「水の中の瞳」より (C)阿保美代/講談社  森の近くの湖で、ボートに乗って、枝垂れる木の花を摘もうとしていた少年。 バランスを崩して湖に落ちてしまう。 彼は沈みながら、まとわりつく水が女神のヴェールのようだと感じる。

 彼は幻想的な光景を見る。遠く水の底に、小さな城が見える。 少年はそこへ行きたいと思う。しかし何かの抵抗で、体が浮き上がってしまう。 目覚めると、そこは、家族や友人が見守るベッドの上。

 快復した少年は思う。あの城はきっと自分の眼の底にあったのだと。 眼を閉じると深い闇があり、その向こうに光がある。 それに魅せられ、眼を開けられなくなるのが、逝ってしまうこと。 眼の奥に暗い闇があるからこそ、光は眩しいのかなと。

掲載誌/引用元:『週刊少女フレンド 1981年 第17号』 p.62


 冒頭のこの水辺に上から垂れ下がった花は何だろう。画面から溢れ出すようだ。 シダレヤナギと、何かの花を合わせたような、創作上のものか、実際にあるのか。 これだけでも綺麗な印刷で見てみたい。

 絵もなかなか幻想的で、テーマにも惹かれるものがある。キャラクターも可愛い。 阿保作品の一定の水準を満たした作品だと思う。 4ページ目の柱には、「お仕事中のBGMは松任谷由実が最高という阿保さんにお手紙を!」とある。




 砂男の家 〜くずの葉だより 18〜
 
「砂男の家」より (C)阿保美代/講談社  ある日、男性がアパートの部屋から出ると、上階の踊り場から 鞠が転がってきた。見ると綿毛の髪の子供。 彼が鞠を投げ返すと、お礼を言って微笑む。 何か懐かしいものを感じた彼は、その夜、夢の中で、その子が鞠をつく音を聞く。

 翌日大家さんにその子について尋ねるが、 上階には誰もおらず、砂男の影でも見たのね、と言われる。 寂しい人は砂男のまく砂の音を聞くのだ。

 男性には亡き妻がいた。愛する彼女は身篭ったまた事故で逝った。 その夜、彼は再び夢を見る。 砂男がまく夢の砂は、サラサラと形を変えて…。 彼は、その夢を見られるだけ見ようと思う。

掲載誌/引用元:『週刊少女フレンド 1981年 第18号』 p.193


 アボサンには珍しく、タイトルがメルヘンっぽくないかも。 安部公房の小説に「砂の女」「箱男」があるが、 何か影響があったのだろうか。砂は、乾いた男性の心を暗示しているようだ。 話の内容は、私の好きな「わすれんぼの天使」にちょっと似ている。

 冒頭の絵にも、ラストシーンにも、やや力がない。張り詰めたものがない。 砂男のイメージも曖昧だ。個人的にはもう一歩踏み込んだ、深いものが見たかった。 最後も現実に帰ってこず、ちょっと甘い終わり方だと感じる。




 以上3作品でした。少女フレンドの号数と、「くずの葉だより」の番号が一緒なのを見ると、 この'81年の第一号から、このシリーズは始まったのかもしれない。

 全体的に、「時計草だより」の頃の圧倒的な創作力までは感じられないが、 よく言えば落ち着いている。 創造が次々に湧き出てくるような時期は過ぎて、 アボサンの泉の中のメルヘン心を掬い出しつつ、作品化しているような印象。

 舞台や世界も、「時計草〜」の頃と比べると、統一感がなく、個別にバラけてきている。 「赤い小径」などは「ふるさとメルヘン」的だし、様々に混在している感じだ。

 しかし同時に、この'81年頃は、後世に残したい名品(「楓ッコ」「小さな魔法の家」など)を 幾つも残されていて、創作が熟した最盛期でもあったと思う。 だからこれら上記の3作品にも、相応の品質はある。

*   *   *

 ところで、こうした未収録作品について、阿保先生はどう感じておられるのだろう。 今から30年前の雑誌にだけ掲載され、当時の人に少しでも影響を与えられたなら、 それで本望なのだろうか。

 私は、こうして幾つか読んでみて、それではやはり勿体無いと思う。 阿保さんは、高いセンスのオリジナリティ溢れる絵と、洗練された詩や言葉で、 メルヘンファンタジーやロマンスの短編を見事に仕上げている。 それは優れた童話のようで、今も色褪せない。

 なぜその阿保さんが今、消えかかっているのか。 漫画批評家や、それら本の中で、なぜ阿保作品が紹介も評価もされないのか、不思議な気がする。 価値があるなら、いつか再び光が当たる時が来るだろうか。

*   *   *

 一時、童話作家・安房直子さんの本が絶版になった。 熱意あるファンの方々の活動もあり、今再び買えるようになった。 それは多くの人々の情操を豊かに育てるだろう。

 阿保さんは、漫画の世界で、そうした仕事をされた。 その独特の繊細な世界は、万人向けではないかもしれないが、 今の人にも必ず届く、時代を越えるメルヘンの普遍性が備わっていると私は思う。 それが過去の中に埋もれ、今の形で見られないのは、文化的損失だとすら感じる。

 彼女は、日本のメルヘンファンタジー漫画の草分けであり、 生み育てた母ではないだろうか。 それが蔑ろにされているような状況が、今も続いている。





2011.03.06
著者:ライラック


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