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大島弓子 「サマタイム」 (1984年作/ 16p)   


 今年3月、東北を襲った巨大地震の後のことだ。知人から連絡があり、 しばらく安否を話した後、不意に、「大島弓子の"サマタイム"って覚えてない?」と言われた。 内容を聞くと、少し覚えがある。

 田舎を舞台にした話で、村が停電か何かになって、 母親が冷蔵庫の余り物で料理を作り、村人を呼びに行く。 そのやり取りが何とも微笑ましくて、好きだったのである。 その印象だけが残っていて、あとは記憶にない。

 聞くと、知人は、あの震災後、この作品を突然思い出して、家の中から探し出して、 読んだのだという。そしたら驚くべき話だと分かったと。 それで、今こそ知ってほしいからと言って、後日、本を貸してくれた。

*   *   *

 今回、私は、20年以上ぶりに読んだ。 やはり後半の意味がよく分からない。 それで、また最初から、途中から、とページをめくり直し、 やがて、なるほど、そういうことか、と分かった。 確かに、これは凄い作品だ。

 以下、あらすじを書いておきます。



 「サマタイム」(大島弓子・作)の粗筋
 
 地方の小さな山村。 真夏の夕飯時、落雷か、大音響とともに送電線が切れ、村中が停電する。 主人公トオルの母は、冷蔵庫の残り物で沢山の料理を作り、 父は雨の中、隣の村人たちを呼びに行く。 トオルは幼馴染の婚約者、実与子(ミヨちゃん)に会いに行く。 この村や人や風景が好きだと語る彼女。二人は来週結婚し、同居する。

 翌日、村長と村人たちの手で送電線は修理される。 そんな中、結婚式に出るために帰郷するはずの友人が来ない。 上京しジャーナリストになった信一。 トオルは、心配する信一の母に頼まれ、ミヨちゃんにお土産を約束し、 バスと電車を乗り継ぎ、東京の信一の住所に向かう。 東京は相変わらずの混雑ぶりだ。

 彼のマンションに着くも不在で、大家さんに中へ入れてもらう。 雑然とした部屋、その片隅に結婚祝いの贈答品。 電話のそばにメモ。そこには、「世界戦争突入」の文字と、 日付と時間、ミサイルの名前、「!」が並ぶ。 日付は数日前、村の送電線が切れた日。 トオルは考える。このメモは事実かデマか。 彼は様々に思いを巡らせて…。

 ふと気づくと、そこは帰りの電車の中だった。 彼の手には信一からの結婚祝。彼は、それが「妄執」だと自覚する。 あの落雷らしき瞬間から後のことも。 そして彼は、村へ帰ることを決意する。 村には山や川、牛や村人たち。好天の下、野菜も収穫時。 ミヨちゃんが微笑み、手を振る姿。 彼女は、あさって家に来るのだ。



 トオルが気づいてからの最後の2ページは圧巻だ。 透徹した意識で、彼は自覚しつつ、その世界に浸ろう、帰ろうと決意する。 ここの描き方が普通でない。 綿密に日常を描きながら、気づいてみれば高次の意識の世界になっている。

 あの、世情がバブルに向かって物質欲に流されていった時代、 大島さんは、もっと大事なものを見つめ、高みに達していたことを思わせる。

 でもこれ、読んですぐに意味が分かる人はどれぐらいいるんだろう。 私が鈍感なだけか。 自分はずっと、トオルの認識と事実が繋がらず、 帰りの電車で眠って、変な夢を見て、目覚めて日常に戻った、夢オチの話かと思っていた。

*   *   *

 私が何度読んでも好きなのは、停電下の村での、家族や村人たちの生き生きとした振る舞いだ。 互いの支えあい、素朴な共同体の姿が、丹念にユーモラスに描かれる。 そして、こんもり茂った緑の木々や山川、虫の鳴き声、美味しそうな料理も。

 「ゴロゴロ」「チリーン」「ごとんごとん」などの擬音も、雰囲気や効果をよく出している。 その手書き文字もいい。よく見ると、これらの音が、 重要なポイントや転換点になっていることに気づく。

 またトオルの回想にもある、所々に散らされた違和感。これも読み返すとよく分かる。 しかし何よりおかしいのは、あの部屋のメモだ。 あれだけは想像も及ばないことだから、 誰かが彼の意識の中に置いたんだろうか。 …と考えると、頭がこんがらがってくる。



引用:『ダリアの帯』 p.166〜167 「サマタイム」より (C)大島弓子 / 白泉社
「サマタイム」(2〜3ページ目)より (©大島弓子 1984/白泉社)



 もしこの「サマタイム」が手元にある方で、 内容はうろ覚えという方がおられたら、 また手にとって読んでみたらどうでしょう。

 この作品は、 古くは、『綿の国星 7巻』(白泉社)に収録されている。 探したら私の家にもあった。 開くと、前後に短編(「ジギタリス」「サヴァビアン」)があり、 それに挟まれた本作のラストはページの右側。 余韻に浸ろうにも、左ページに可愛い猫「サバ」の絵があって、 ついついそちらに目がいってしまう。

 だからか、この話の後半が腑に落ちないまま、 東京帰りに悪い夢でも見たんだろうと、 軽く済ませてしまったのかもしれない。

*   *   *

 今回私が借りたのは、 『ダリアの帯』(白泉社文庫)という文庫本で、 これには、'83〜85年の7作品が収録されている。 本作ラストは無論右ページだが、 左ページは次の作品のタイトルのみの、ほぼ空白といっていいページになっている。

 こうなっていると、次の作品の絵に惑わされず、ラストシーンの余韻に浸りやすい。 この配慮で、ずいぶん作品一つ一つの印象が変わるものだと気づいた。 版の大きさでは新書判に分があるが、余韻の浸りやすさでは、この文庫本の方が良かった。

 もし、阿保さんの作品が将来文庫本で出るとしたら、同様の配慮を願いたいと思う。

*   *   *

 最後に今回、「サマタイム」はじめ、 文庫本に収録された表題作のほか、「快速帆船」「乱切りにんじん」などを読んで感じたことがある。

 大島先生の描くキャラクターは、理性的で、芯が一本通っている気がする。 みな、まなざしが強く、対象にしっかり向き合う。 絵も、しなやかで、不思議にふわっとして、透明感がある。 男性の多くは、中性的でスマート、さっぱりしている。

 作品中、台詞や説明は多いが、洗練されていて、気にならない。 コマ割も綺麗に整理されていて、見やすい。 話にスパイスやユーモアも効いて、楽しい。 これらが、天賦の才能と感性をもった大島弓子のファンタジーを支えていること。

 そして、私には、魂というものがあるのかは分からないが、 死後の視点に立って初めて感じられることがある。 好きな人や故郷や、自然や動物や、それを無情に奪うもの。 本作は、その契機をくれる作品と言えるのではないか。





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illustration ©YUMIKO Oshima 1984



 付記として、阿保美代作品の中で、「サマタイム」に近いものを挙げておきます。

 戦時を扱ったものだと、「とても美しい小さな朝」(1974)がある。 全24ページ、フランスの短編映画のような見事なドラマだ。 高次の世界を描いたものだと、 「真夏に真綿の雪がふる日」(1979)が名作。 これは「サマタイム」に全く引けをとらない。

 全体的に似ているのは、「あかいくつ」(1977)でしょうか。 自然溢れる山村という舞台、時期も盛夏、お盆の頃。 嫁入り前の村の女性、「おら」「すべ」などの方言、美味しそうな料理、 子供の頃に遊んだ回想シーン、都会から男性が戻ってくる設定。 …とはいえ、これらは田舎なら共通するテーマだし、内容そのものは全く違う。



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.68〜69 「あかいくつ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あかいくつ」(2〜3ページ目)より (©阿保美代 1977/講談社)


 また両作は、扉の絵と、ラストの絵が似ている。 家の柵の向こうで若い女性が立って微笑んでいる絵と、 草むらで身の丈ほどの枝茎に囲まれた人の絵。前後は逆だけど。

 もしや大島先生が、阿保さんの「あかいくつ」を読んでいて、 そのイメージが、あの作品に繋がった可能性はないか。それかオマージュとか。 私がそう知人に聞くと、「関係ないと思うよ」と一笑に付された。私の妄執か。

 そもそも、大島先生も、阿保先生も、様々な文芸作品に触れておられてるから、 いち漫画の影響と考えること自体、ナンセンスだろう。 またむしろ、阿保さんが、先輩である大島作品から学んだ部分も色々あったでしょう。

*   *   *

 さて、このお二人は、 繊細なタッチや、高次のファンタジー、優れた美意識など、共通点がある。 少し見比べたら、阿保さんは擬音語が少ないことに気づく。 雨のシーンに象徴されるが、 音さえも絵で表現しようとしているように見える。(大島さんは「ザー」と書く)。

 これは、阿保作品の魅力でもあり、大島作品にはない弱みかもしれない。 その世界に入り込めれば、読み手のイメージを反映して音は鳴るが、 そうでなければ、薄い叙情漫画として読み流されてしまう。

 繊細で深みもあるが、こちらから入っていかなければ真価が分からないものも多い。 だからこそ、そこに入れた時の発見や感動も、ひとしおなのだけど。





2011.05.17〜
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1977

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