この作品を見ていると、阿保美代という人が、どういった作風の人なのか、分からなくなってくる。
いや、きっとこれが、彼女の基軸にあるのでしょう。
本作は、後の、繊細で可愛らしい、メルヘンの世界とは全く異なります。
クラシックな劇画調で、ヨーロッパの戦時下を描いた、白黒映画のような雰囲気。
全24ページ。阿保さんにしては長編で、シナリオの完成度も高い。
若い男女の再会から、抑揚のついたドラマがあり、そして鮮やかなエンディングへ。
阿保さん18歳、日芸の映画学科1年生の頃の作品です。
「とても美しい小さな朝」(阿保美代・作)の粗筋
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ある秋の日、一人の若者が駅に降り立つ。
召集され除隊となって、2年半ぶりの故郷。
彼は、町の群集の中に、かつての恋人を見る。
「ジョゼ?」「リュース!」。
二人は互いの名を呼び、再会を喜ぶ。
彼の家はもうなく、ジョゼの家へ。
その夜、二人は互いの愛を確かめあい、一週間後に結婚。
あるアパートの屋根裏部屋を借りて、新生活が始まる。
大家さんにもらった猫と一緒に。
生活は厳しい。レコード店で働くジョゼの収入のみ。
絵描きだったリュースは、町で仕事を探すが、見つからず、苛立つことも。
それでも互いに助け合い、徐々に軌道に乗り始めた頃、ジョゼが身篭る。
二人は夢を語り合う。
郊外の庭付きの白い家、子供の名前…。しかし先立つものはなし。
悲嘆するジョゼを慰めるリュース。
そんな折、彼の絵の才能が認められ、広告会社と契約。
これで夢が叶うと二人は喜ぶ。
その夜、大家さんや友人らと、ささやかなパーティを開く。
みんなが二人の子供と門出を祝福してくれる。
翌朝、リュースの目は、何もかもが美しく新鮮に見える。
人々の声、窓辺の花、雲やお日様…。そこへ郵便屋が来て、戸を叩く。
リュースが出ると、一枚の召集令状。
「再召集──戦況は悲惨で、生きて帰れないだろう」。
彼が振り返ると、何も知らないジョゼが、台所で猫と戯れ、笑顔で彼を呼ぶ。
窓の光を浴びて。
それは、とても美しい朝だった──。
「とても美しい小さな朝」より (©阿保美代 1974/ 講談社)
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この世界に入り込むと、途中で何度も、
この作者は凄い、と私は思う。狂気さえ感じる。
ストーリーやロマンスだけではなくて、様々な表現に。
たとえば、色んなところに、戦争の影が挿し込まれている。
言葉として、兵士の姿の絵として、市中の人々の無機質な表情や、さり気ないカットに。
その冷たく乾いた空気が、ひしひしと伝わってくる。
そして暗喩。一見、普通の絵の中に、細かく色んなものが埋め込んである。
それに気づくか気づかないかで、価値は異なってくるでしょう。
* * *
全体に映画的なムードがあります。これを元に、一本の短編映画も出来そうな。
独特の構図や、連続フィルム風のカット、魚眼レンズを通したような絵など。
舞台はどこでしょう。冒頭の町の壁には、英語とフランス語の広告文字。
調べると、パリの町通りや、アメリカの女優の名。
その他、店のレコードに「ジルベール・ベコー」。歌詞にヴェルレーヌ。
子供の名に、「ロバート・フラハーティの"アラン"」。
フラハーティは、ドキュメンタリー映画の父だそうです。
これらは、阿保さんが好きだったり尊敬していた人物でしょうか。
「とても美しい小さな朝」 4〜5ページ目より
(©阿保美代 1974/講談社)
阿保さんが、当時どういった映画の影響を受けていたのか、私には分かりません。
恐らくは、モノクロ時代の欧米の映画でしょう。
彼女は'55年生まれですから、ヌーヴェルヴァーグの頃のフランス映画か、
それとももっと前の、先のフラハーティの記録映画でしょうか。
また、戦時の悲惨さやロマンスを描いた日本の映画やドラマだって見ていたでしょう。
* * *
青森で育っていく中で、彼女は、ヨーロッパの文化に憧れを持って触れながら、
作家を志していったように見えます。
そこへ'60年代末、岡田史子に続き、24年組の俊才らによる少女漫画の革新が始まります。
金字塔「ポーの一族」(萩尾望都)が出た'72年に、阿保さんは漫画家デビューを果たし、
翌年上京して、日芸で映画を専門的に学ぶのです。
18歳の彼女の心持ちは、どんなだったでしょう。
映画の世界を目指していたのか、
デビューした少女漫画界で、その素養を生かし、
独自の漫画表現に挑もうとしていたのか。
一度お聞きしてみたいけれど。
「とても美しい小さな朝」 19ページ目より
(©阿保美代 1974/講談社)
この作品は、映画や技法などに通じている方であれば、
もっと面白い見方が出来るでしょう。
構図やカメラワーク、人物のポーズ、照明の効果など。
ともかく、私の目には、阿保さんが、17歳のデビューから大学卒業までに、
こうして漫画の中で、映画的な表現を模索して挑んでいったことが、
後のメルヘン作品の中にも、多分に活かされていったように見えます。
アボワールドの、あの豊かで広々とした、繊細で大胆な世界は、
この若い劇画時代を抜いては語れないのではないでしょうか。
2011.09.25
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1974
□ 付記──
私にとって、阿保美代さんの作品は、いまだに発見だらけです。
おそらく一生分からないのでは。教養でも感性でも、差がありすぎて、理解できない。
当時('60〜70年代)の学生は、また少女漫画家も、
形だけでも競い合うように、欧米の文芸に触れていたと聞きます。
阿保さんもその時期の人でしょう。
作品中の名前などは、その若気のアピールのようにも感じます。
いや、形だけでなく、本当に強い憧れや関心を持って、
西洋の文化に触れて学ばれていたはずです。
同時に幼少期から、日本の口承民話などにも馴染んでいて、
どちらも吸収していた彼女の感性は、とても豊かなものでした。
* * *
阿保さんの叙情劇画は、私の感性では殆ど分かりません。
でも、妙な引っかかりがあるので、何度かじっくり読んでみる。
繰り返し読めること自体も驚きですが、それに耐えうるものがあるわけです。
そうして見ていくと、しばしば作品の中に何かを発見する。
それに気づくと、たまらなく面白くなってくる。
さらに深みに誘い込まれるのですが、なかなか奥は見えない。
ここで、本作中で気づいたことを、少し挙げておきます。
本作中の「窓、バラ、木と葉、戦争の足音など」
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たとえば、窓。最初は、ジョゼの家の窓、
二人が愛しあうシーンは、シルエットとして、美しく表現される。
そして、二人の新生活の舞台、アパートの屋根裏部屋の窓(p.70)。
初出シーンは、希望に溢れた二人が、外に向かって一緒に窓を開いている。
同作 6ページ目(p.70)の下方
次のページ。アパートの外観(p.71)。秋の木から葉が散る中、窓は閉じられている。
なぜかそこに、長方形のグレーのスクリーントーンが掛けられる。
同作 7ページ目(p.71)の左端中央
ここから室内からの窓に(p.74)。
どんよりとした曇空のような、波打つ曲線の重なりが描かれる。
その横に、室内の二人の姿。暗く閉塞感が漂う。
ここでは、苛立つリュースと、戸惑うジョゼ。
その構図と光線。伸びた影は、互いの離れそうな心のよう。
同作 10〜11ページ目(p.74〜75)の下段
そして左ページ(p.75)。似た構図の窓のコマが上下に2枚。上はバラ、下は猫がいる。
下段の窓をよく見ると、口に枝葉をくわえた鳥が飛んでいる。
この鳥は、この7ページ後、リュースの契約が決まった日のページの最初のコマで、
太陽の光を浴びて、飛んでいる。
次に、ジョゼが身ごもった後、不安になる彼女を「何も心配いらない」と彼が慰めるシーン(p.81)。
二人の立ち絵のコマには、窓がない。
代わりに左に、軍隊の行進のような不気味な絵が挿し込まれる。
同作 17ページ目(p.81) 最下段コマ (※clickで拡大)
しかしすぐに戦争が来るわけではなくて、
次のページでは、(前述の)あの鳥が晴天の空を飛び、
リュースの仕事の契約が決まり、二人のデート、門出のパーティへと、話は明るい方へ好転する。
でも、水面下では…。ラストにつながる予兆、伏線が、ここに暗示されている。
ここからラストまで、7ページ。
戦争の影はなくなり、明るく幸福な光と空気に画面は満たされ、
しかし最後の最後に、それは突如やってくる。
ここで、最初のタイトル画へ戻る。
窓辺のテーブル、ガラスの花瓶に生けられたバラ。
ティーポットにティーカップ、パンが数枚乗った皿。
このインテリアのセットは、阿保作品によく出てくるもので、
平和な、かけがえのない日常を表すのだろうか。
同作 タイトル画の一部
そして、ジョゼの好きなバラ。これも要所にさり気なく出てくる。
窓のそばにバラ。不安な時には、バラは崩れそうに描かれ、
門出のパーティ前には、華やかなバラの花束。
木や葉の風景では、当初は秋の木。葉がずっと舞い落ちている。
それが14ページ目から、春の到来とともに、葉の繁った生命感のある木々に。
それとともに、ジョゼの中に新たな生命が誕生する。
そして街灯…。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも出てきた覚えがある。
何かを象徴するものとして。これは恐ろしい。
…私はこうして、あの窓や、バラの花や、木々と葉のシーンをめくって、
その推移を見るだけでも面白い。
さらにそこに戦時下の影が挿し込まれる。
中途には、老人と若者、夢と現実の対比。
それらのハーモニー、また不協和音を出しながら、
秋、冬、春へと、起承転結のストーリーは進んでいく。
イラスト:「とても美しい小さな朝」より (©阿保美代 1974/ 講談社)
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また、この話の中盤には、町で出会った一人の老人のエピソードが出てます。
昔、若い頃に描いた絵を、壁に並べて微笑んでいる老人。
それを見たリュースは、彼が幸せなのかどうか分からない、と語ります。
これは物語には直接関係なさそうで、すぐに忘れてしまいそうな話です。
しかし読んでいくと、これが後に響いてくる。
なぜなら、リュースは若くして人生を断たれるわけです。
振り返ることも、ものも、なくなる。
その対比が、話に厚みを与えます。
ここでまた、タイトルの絵に戻ります。
壁に二人の肖像画。視線は逆方向。
その下に、時を止めたようなティーセット。
永遠の一瞬が閉じ込められているようで、私は、しばし見入ってしまう。
* * *
力のある作品は、時代を経ても価値を失わないと、改めて感じます。
阿保さんの作品には、それがある。
きっと本作には、当時の映画や小説などの影響もあるのでしょう。
でも何より漫画として18歳でこれを描き切ったことに、敬服します。
そこには若い力みもあるし、ジョゼもちょっと乙女チックだけど、
その荒い陰影の中に、青春の純潔なエネルギーを感じる。
阿保先生、あなたは凄い人ではないですか。
その感性は、一体どこから来たのか。
私は、いつも見る度に、その思いを強くします。
2011.09.25
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1974