私の大好きな作品。胸がキュンとする。そして全体が明るい。
このキャラクターの絵も、すごく可愛い。
絵も話も、シンプル。
何かすごい描き込みがあるとか、派手なシーンがあるとか、そういったものはない。
でも、隅々まで阿保さんのセンスが発揮されている。
主人公は、町工場で働く男の人。
最近なんだか、物忘れをしたような気分。
通勤電車でも、会社でも、何だかしっくりこない。
「わすれんぼの天使」 p.1より
(©阿保美代/講談社)
彼が住んでいるアパートには、一匹の猫がいた。
大家さんには飼うのは禁止されてるんだけど、
勝手に来るんだし、彼もその猫が気に入っていて、一緒に暮らしていた。
だって、その猫の仕草は、亡くなった妹に似ていたのです。
はにかんだ笑顔とか、からかうと怒って背中を向けるところとか…。
私の胸がキュッとなるのは、次のシーン。
窓辺でたたずむ猫、そこに、雨ふる庭先を見る妹の後姿が重ねられる。
そして、水の上に浮かぶ麦わら帽子。
素朴だけど情感があって、いいんですよね。
「わすれんぼの天使」 p.4より
(©阿保美代/講談社)
やがて七夕が近づく。
綺麗な星空の夜、彼が寝ていると、枕元で、「ぱくぱく」という不思議な音がする。
目をこすって起きると、猫が、彼の頭からこぼれる、星状の夢を食べていた。
猫は、好きな人の夢を食べる青猫だったのだ。
そして、とても可愛いと思うのが、次のページ。
それがバレた猫が、冷や汗をかき、両手を口元に当て、「見られちゃった」と。
その気持ちに合わせるように、カメラがグイーッと引いて、ここが無茶可愛い。
やがて「もう いられない」と飛び去っていく。
「わすれんぼの天使」 p.6より
(©阿保美代/講談社)
この日から猫は居なくなり、
主人公は、もの忘れの感じもなくなって、いつもの日常に戻るのでした。
大家さんも、あの猫、近ごろ見ないねー、可愛かったけどねェーと、気にかけていたりして。
そして彼は、忘れていたことを、少しずつ思い出していく。
日の光のまろやかさ。あの大家の子が、よく笑うってこと、その可愛い笑顔。
彼は恋心があったのかな。
ここら辺のところは、私には分からないんだけど。
「わすれんぼの天使」 p.8より
(©阿保美代/講談社)
全体的に、力がすっと抜けている感じもいい。軽くて、爽やか。
パースを崩した街並みもいいし、アボサンの繊細さも隅々まで行き届いている。
コマ使いも自在で、広がりがあり、そこに言葉が優しく融け込む。
1980年、阿保さん全盛期の、素朴な小品。私にとっては大好きな佳品。
阿保さん…、こんな素敵な作品を残してくれた。
心から、ありがとうと言いたい。
2011.08.12
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1980
□ 追記 ── "ふるさと"と"だより"の境界と、クレー他
本作はどちらかといえば、「ふるさとメルヘン」というより、
「時計草だより」に近い気もします。
'80年以降、阿保さんは、その境界をあまり意識しなくなったのか、
徐々に曖昧になり、逆の例も見られるようになります。
私のイメージでは、ヨーロッパ調が「〜だより」(7p)で、
日本民話調が「ふるさと〜」(8p)です。
本作では、洒落た石畳の町並みはまさにヨーロッパ風ですが、
舞台は日本のようで、
途中、七夕が出てきたり、妹の回想シーンには障子が見えます。
作中の、アパートの大家さんであろう、元気な女の子は、
まるで若い頃の、宿屋のおかみさん(by「時計草だより」シリーズ)を見るようでした。
大家さんの女の子と町並み 〜「わすれんぼの天使」 p.3より
(©阿保美代/講談社)
あと、作中に、好きな人の夢を食べる「青猫」という表現が出てきますが、
私は初めて聞く言葉でした。
詩人の萩原朔太郎が、そんな題の詩を書いていると知って、
読んでみましたが、似たような部分は見つからず、分からず。
もう一つ。このタイトルから、
パウル=クレーの「忘れっぽい天使」を想起される方もおられるでしょう。
あの幼児の落書きのような線描画です。本作の、この純朴な可愛さ、明るさは、
それにインスパイアされた部分があったのかもしれません。
2011.08.12
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1980