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阿保美代・作品のレビュー 〜アボサンの繊細で大胆な世界〜


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あめふりてんぐ  (「ふるさとメルヘン1」より)   


 ふるさとメルヘンの中でも、「雨降り天狗」は、私の大好きな作品の一つです。 主役の"鼻ぺちゃ天狗"も愛らしく、勇気があり、 作品全体が思いやりに溢れています。

 途中、日本昔話を参考にされたのでしょうか、 大蛇と一緒に山を下るという、冒険的なシーンがあり、 それもアボサンにしてはダイナミックで、面白い。 とはいえ、何より私が好きなのは、後半のストーリー展開なのですが。

 物語は、「むかしむかし…」という出だしから、 親が子に読み聞かせるような、リズムのある方言で語られていきます。

*   *   *

 とある柏の森の近くの山村。 日照りが続き、このままでは飢饉だと、庄屋さんが参っています。 というのも、雷様が出入りする山頂の門前で、 門番の"雨蛇どん"がトグロを巻いて眠ってしまい、門が開かないのでした。

 庄屋さんは、神に祈るように、大声で、 「誰でもいい、雨を降らせた者には、おらの娘ば嫁にやるど!」と叫びます。 すると、それを聞いていた柏の森の天狗が、 「ならばおらが嫁さ もらったぞ」と、木の上から応えるのです。



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.142 「あめふりてんぐ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あめふりてんぐ」(2p)より ©阿保美代/講談社


 とはいえ庄屋は相手にせず、 「お前みたいな、鼻ぺちゃのみそっかす(一人前になれない者)が、 大きいこと喋らんこった」と一蹴するのでした。 天狗は顔を真っ赤にして、泣きそうになりながらも、 勇気を出して、遠い雨の門へ行く決意をします。

 というのも、天狗は、庄屋の娘に惚れていたのでした。 動物と遊び、花を愛で、小鳥と歌う、めんこいあの子に。 そんな気持ちを胸に、彼は、命懸けで、 山を越え、谷を超え、川を上り、雲の上にある雨の門へ向かい、辿り着くのです。

 雨の門の前には、ぐーすか眠る雨蛇どん。彼は知恵を働かせ、 「……に美味いお酒がある」と言って、酒好きな雨蛇を誘い出し、門前から動かします。 それでやっと門が開き、雷様と雨雲が出てこれて、大雨を降らすのでした。



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.145 「あめふりてんぐ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あめふりてんぐ」(5p)より ©阿保美代/講談社


 ところで、次のページ(写真下)の最初の場面で、私はいつも引っかかりを感じます。 「天狗に謀られたと分かった雨蛇どんは、とっとと山へ帰ったど」と、 雨蛇が怒りもせず、恥じらうように山へ帰ってしまうんですね。

 普通の昔話なら、ここで雨蛇が怒って、天狗に復讐しそうですから、 ここがちょっと甘いと捉えられかねない点です。 ただ、この雨蛇は、心のおっとりしたキャラクターですし、 天狗の誘い方や動機にも悪意は感じられません。 そもそも門前で寝てしまった彼に非があり、 なので雨蛇はそんな自分に照れて、さっさと帰ったのだと、納得も出来ます。

 何よりも、このお話の最大の見所が来るのは、この後なんですよね。 だからここはあっさり済ませたのかもしれません。 話を物語に戻しましょう。



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.146 「あめふりてんぐ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あめふりてんぐ」(6p)より ©阿保美代/講談社


 雨を降らせた天狗は、「やっほーっ」と、飛び跳ねて喜びます。 これで約束通り、あの子をお嫁にもらえるのです。 それこそ彼が命まで懸けた動機でした。

 喜ぶ彼が、そっと庄屋の家の庭先を覗くと、家族が話しているのが見えます。 庄屋が、まさかあの天狗に出来るとは思っていなかったこと、 娘には別に好きな人がいて、天狗の嫁に行くのは嫌だと泣いていること。

 天狗は、それを見て、一人、何を思ったでしょうか。 そしてこの後、どうしたでしょう。 あくる日、庄屋の嫁入り一行が柏の森へ向かうと…。高笑いが聞こえ…



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.147 「あめふりてんぐ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あめふりてんぐ」(7p)より ©阿保美代/講談社


 天狗は、みんなが幸せで済む、見事な解決策を打ち出したのでした。 彼一人が欲を捨てればいい方法を。 でも、「ぐわっはっは」と笑って、颯爽と跳び去っていく彼の心持ちはどんなだったでしょう。 ともかく、嫁入り一行は、この言葉に大喜びです。

 さて、森の奥まで来た天狗。一人、おでこに手をやります。 さきほど威張ったフリをしていた時の眉毛は、松の葉っぱを付けただけだったのでした。 それを一人、ぽつんと外して、うつむく。 そして、こみあげる本音…。

 彼は鼻ぺちゃだから、天狗にならず、謙虚だったのでしょうか。 切ないけど、清々しい。 また、この前後の阿保さんの手描き文字もいいんですよね。 いい味を出してます。

*   *   *

 最後のページでは、雨蛇どんが天狗をいたわり、一緒に酒を酌み交わします。 そして天狗は、柏の木の枝で、羽織と下駄を脱ぎ、素の姿で眠るのでした。 そこにナレーションが添えられて、物語は幕を閉じます。

 そこには、村の人々が、彼に感謝をして「柏もち」を贈ってお礼をしたこと、 また雨が降らなくなると彼に頼むことがあり、 そこで降る雨は、ただの雨か、潔い天狗の涙かも分からない、と書かれます。 ここでタイトルと繋がるんですね。

 こうしてみると、この世界は、互いに思いやりを持っていて、だから暖かい。



引用:『アボサンのふるさとメルヘン』 p.148 「あめふりてんぐ」より (C)阿保美代 / 講談社
「あめふりてんぐ」(8p・最下段コマ)より
©阿保美代/講談社


 ラストシーンで、眠る彼の周りには、細かい点描で陰影をつけた、柏の葉がたくさん描かれます。 それは、葉越しに彼を覗き見るような構図なのですが、 この葉っぱは、眺めるうちに、"神さまの手"のように見えてこないでしょうか。

 柏の森の神々が、本当の真心や勇気をもった彼を、 優しく暖かく、さり気なく、讃えているように見える。 この葉が、涼しい風を彼に送って、さらには、拍手の音さえ聞こえてくる。 彼はその優しい自然の中で、安心して眠っているんですね。

 それは真に幸せそうに見えます。誇らしげのようにも。 だって、自分を恥じるところなんてない。 ですからこれは、そんな彼を、大自然の神々が抱きしめている、 賛歌のようにも、私の目には映るのです。






2011.07.30
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1979



□ 追記 ──アボサンと自然とふるさとメルヘン


 この作品に限りませんが、本当にアボサンのメルヘンというのは、繊細で優しい。 よく見れば、その細かい絵の中に、心の機微があり、 その一コマ一コマをゆっくり見ていくのは、至福の時です。 それは阿保先生の創作の魂や心に触れることであり、 自分の中の何か大切なものを取り戻す時間とも言えます。

 写真では潰れてしまっていますが、 本当に、細部まで、細かく細かく、描線や点描で、 人の表情や、バックの装飾や何やらが描かれてるんですね。 本作ではスクリーントーンも一切使われていません。 これによって、細部まで魂を宿らせるかのような、独特の世界の作り方は、 アボサン特有のものではないでしょうか。

 そこには、阿保先生の、 自然への畏敬の念があり、観察があり、また四季の移り変わりへの洞察があり、 そうして本質をつかんでいるからこそ、こうも描けるのでしょう。 (ただ残念ながら、それは'82年頃を境に、徐々に消えていってしまうのですが。)

*   *   *

 こうした自然や風景は、単に綺麗に描けばいいというわけではありません。 上手く、写実的に、細密に、描ける人なら、漫画家には大勢います。 しかし、それだけでは生命は宿らない。 どこまで描き手が、その根源的なものを把握して、それを抽出し、 絵として描き出せるかがポイントで、 アボサンはそれが出来る稀有な人でした。

 何より、書き手の心が、絵を描かせるわけですが、 この時期のアボサンは、それがとても充実した状態であったのでしょう。 生きた自然が、阿保流のデフォルメや抽象化でもって、 見事に紙の上で生き生きと、枝を伸ばし、花や葉を咲かせています。

*   *   *

 「ふるさとメルヘン」では、 自然に包まれた風景の中で、物語の幕引きを迎えるというのが多い。 これは阿保さんがよく使う手法のようです。 悲しみに沈む山姥に降り注ぐ紅葉もそうでしたし(「もみじ山のやまんば」)、 「楓ッコ」も、いやあれもこれも、大半の作品がそうでしょう。

 阿保さんは、その作品の中で、自然を、無情で厳しいものとしても描くけれど、 純粋な気持ちを持った人々を、優しく包み込む神々のようにも描く。 この感性は、東北での生活の中で育まれたものでしょうが、 私には時に鋭すぎて、付いていけないほどです。

 そんな、かつてあった自然への畏敬が失われつつある今の時代、 この阿保美代の作品群は、瑞々しい感性をもった子供や若者たちの心の中に、 大事なものを沁み込ませる教材の一つにならないかと、時折考えます。

*   *   *

 私は、この作品を、小学5〜6年生ぐらいの教科書に載せてもいいのではないかと思う。 恐らく10歳を過ぎれば分かる内容ではないでしょうか。 初恋をするのが何歳が多いか分かりませんが、 その気持ちが分かる時期に、一度読んでもらいたい。

 ついでにいえば、「楓ッコ」は中高生に、 「あかいくつ」は、大学生ぐらいに読んでみてほしい作品です。 それは、日本人の、謙虚で美しい心の上澄みのような作品で、 謙譲の美徳や、微細な人の感情を教えてくれる気がするからです。 そしていつもその背景には、美しい日本の自然がある。 また、繰り返し読んでも尽きない魅力があります。





2011.07.30
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1979

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