1978年に出版された「The Meditation」(ザ・メディテーション)という季刊誌に、阿保美代さんの
作品が掲載されていると知って、手に入れてみました。
この雑誌は、主に精神世界を扱っていて、
執筆人には、横尾忠則、松岡正剛、夢枕獏氏らが名を連ねています。
話題も、ヨガや禅、神秘・幻想世界、舞踏、SF、アメリカ文化まで多岐にわたっており、
志も高く、面白い。
左が表紙(絵は横尾忠則氏)。写真右の目次はクリックで拡大できます。
(『The Meditation 創刊2号 冬季号 1978』 ©平河出版社)
しかしなぜ、そんな雑誌に阿保さんが?と思ったのですが、
編集後記にその経緯が書かれていたので、まず、以下に引用しておきます。
編集後記(「Meditation」創刊2号)から
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□ 本誌もいよいよ2号目に入った。創刊当時、この新雑誌はあらゆる意味で試行錯誤を
くり返していくだろうという予想はあった。今回もやはりそうである。(〜中略〜)
編集スタッフひとりひとりが、あらゆる人と出会い、関わり、苦悩する中から
徐々にメディテーション誌の方向性は作られていく。これも未来に生きるメディアの
宿命だと思っている。そして、生きていることの意味を常に問いかけながら、体でぶつかっていく以外に、
本誌の読者との接点はないと思っている。(〜後略)
(編集人:三澤豊)
□ 創刊号の試行錯誤が、今回で結実することを期待したが、
内面の探究という厖大な世界は、なかなか取り組みがいがありそうだ。
その意味でも、少女コミック界の阿保美代氏の登場は、
男性中心の著者の中で異色ではあるが、彼女のもつ特異な幻想世界は、
ぜひメディテーション誌にとり入れたいものであった。
無理な注文で彼女の個性を殺しはしないかと危惧したが、
快く協力して下さった彼女の関係者にもこの面を借りてお礼をいいたい。
(Editor:前田麗子)
引用:「The Meditation 創刊2号 冬季号 1978」 (平河出版社) p.162より
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創刊したてということで、編集長の強い意気込みが伝わってきます。
これを読むと、このスタッフの女性の方が、
阿保作品を見て何か感じるものがあり、講談社の担当者に連絡を取り、
テーマを伝え、作品依頼をしたのでしょう。
実を言うと、私は最初、この本と題(「仕事始めの唄」)を知った時、
阿保先生が仕事に掛かる前に唄を唱えていて、
その内容を記事にしているのかと思って、もしオカルト的なものだったらどうしよう、
とドキドキしていたのでした。
いざ開いてみると、それは普通の、全5ページの叙情劇画でした。
当時の「ロマンシリーズ」に相当するような内容で、
「秋の日のアリア」に近い作風でしょうか。
以下、内容をご紹介します。
* * *
「仕事始めの唄」は、西洋の地方の、石造りの家の庭先から始まる作品。
まだ暗い明け方、一人の若い農婦が、木桶に汲んだものを、壷に流し入れています。
この冒頭の絵は、ミレーの絵(「牛乳入れに水を注ぐ女の習作」1862年)を、
模写して左右反転させたもののようです。
きっと阿保さんは、そこから漫画作品としてイメージを広げ、
コマによって時間を経過させ、物語を展開させていったのでしょう。
まだ外は寒いのか、かじかんだ手に息を吹きかけます。
そして、両手をじっと見つめる。
彼女は、その手で、秋の終わり、夫の棺に土をかけたのでした。
「この手で あの人の棺に土をかけたのは 秋のおわりだった」(最下段コマより)。
(「仕事始めの唄」 1pより ©阿保美代)
冬の間、彼女はその手で、夫のいない寝床をさすっていたのでした。
そう思い出すうちに、悲しみが募り、彼女は胸を抑えて、涙をこぼし、そのまま両手を抱えて膝をつき、
ついには荒野の上に伏してしまいます。
やがて彼女は、片目を開きます。
その目の前では、草木が、朝の風になびいています。
地平線から太陽の光が射し始め、空は徐々に白んでくる。
「雪の冬のあいだ へんにひろくなった寝床を さすってばかりいた」(2p右上より)。
(「仕事始めの唄」 2〜3pより ©阿保美代)
次のページ。立ち上がった彼女は、朝の風と光を浴びて、自然や生命の代謝に思いを巡らせます。
彼女の脳裏には、いつしか夫と一緒に耕した麦畑の風景が広がる。
「自然は枯れ、また恵み…、大地の上に陽は笑い、鳥たちは飛びかい、そうしてやっぱり歌は流れていくだろう」
(4ページより引用)。
彼女は夫の死を受け入れる。
そして大きな余白のあるラストシーン。
日が昇り、風が吹き、彼女の目の前一面に、荒れた耕地が広がっています。
彼女は、その大地を踏んで、夫と一緒に浴びた光を浴びながら、
一人で生きていくことを学ばなければ、と思うのでした。
* * *
全体的に、ストーリーと言えるようなものはありません。
夫を亡くした一人の農婦を主役に、早朝から移ろう風景に合わせて、
悲嘆から諦観へと至る胸中の変化を、叙情的に描いた作品、となるでしょうか。
絵は、まだ荒削りで、デッサンも弱く、統一感に欠け、完成度はさほど高くない。
詩やモノローグは良いですが。
私は、これでもう、一旦この雑誌を閉じて、まぁこんなものか、
初期の頃の、荒削りで薄い叙情漫画だ、と思いながら、
雑誌を袋に入れ、机の隅に置いておいたのです。
しかし、しばらくすると、なぜかちょっと気になってきて、また袋から出して読む。
そうして、よく見ていくうちに、印象は変わっていきました。
3度、4度と読む毎に、
一つ一つのコマや、絵や状況を見ていくうちに、惹きこまれていく。
グッと近づいてよく見ると発見があり、
そこからまた世界が広がる。
それは、阿保作品鑑賞における、いつものパターンでした。
* * *
たとえば、季節はいつだろう。
最初に、冷たくなった手を白い息で暖めるシーンを見ると、恐らく冬に近いだろう。
けれどもう雪はないから、春が近いのだろう。
そもそも、「仕事始めの唄」とは何だろう? 唄などどこにもない。
「歌は流れていく」という一節は出てくるが、明確な歌もないし、彼女が歌うわけでもない。
阿保さんは何を考えて、こんな題にしたのか。おかしなタイトルだ。
…などと思って、ページをじっくりよく見てみると、
3ページの2コマ目、未明の空の、重ねた描線のグラデーションの中に、
小さく細い文字があることに気づきました。
3ページ目、上から2段目の横長コマ、夜明けの風景の左右各所の部分拡大写真。
左方に、黒字で「ピーーー チチチ」。右方に、白字で「ピィーーー チィチィ」と読める。
※ちなみに全ページをくまなく探したが、鳥の絵はどこにも描かれていない。
というか、これは、たとえ目に入っても、風景の一部として、気にも留めない微細さなんです。
これ、鳥の鳴き声(擬声語)を、風景の中に融け込ませているんですね。
そう気付くと、このコマの前後の情景が、大きく変わってきます。
伏せった女性が、涙を止め、目を見開いたのは、
この小鳥のさえずりが耳に入り、何かを感じたのでしょう。
開いた目の前に広がる草原は、風に生き生きとそよぎ、
その向こうの空は、朝日によって、闇から光へと移り変わっていきます。
そして彼女は、全てを自然の宿命と受け入れて、未来の耕地へ目を向ける。
それらの状況が合わさって、ようやく、タイトルの意味が見えてきたのでした。
* * *
他にも、4ページ目、脳裏に広がる麦畑の中に、夫とおぼしき男の姿が紛れています。
そこから、彼女にとっての存在の大きさがが感じられ、
最後のシーンに、いっそう深い情感が出てくる。
ただ私は、こうした普通に見ても気付かないような表現が、
果たして良いのかどうか、疑問もあります。
これでは真意が十分伝わらず、自己満足に終わりかねません。
しかし、後年、これらは見事に進化していくんですよね。
たとえば、脳内を巡る感情を、頭髪から伸びた流線で表すシーンは、「楓ッコ」(1981)の
至高のハイライトへと繋がっていきます。音も擬音語を使わずに表現したり。
ですから本作は、そこに至る習作のようにも映るのです。
* * *
ところで、本作は実際、いつ頃、描かれたものなのでしょうか。
私は、絵や内容から、「10月の笛」や「秋の日のアリア」と同じ、
'76年頃ではないかと想像します。その時期の未発表原稿から、
雑誌の依頼に適うものを送ったのではないか、と。
何にせよ、この雑誌は、版が大きい(縦横27.5×21cm)のが嬉しい。
紙質も良好なので、阿保先生の一本一本のペン入れの、息遣いのようなものまで伝わってくる。
寄って見ると、案外ラフで、勢いがあったりして。
そしてここには、当時まだ若い阿保さんの思いも
重ねられていたのかもしれません。"瞑想"とまでは行きませんが、
しばし我を忘れて没入できる作品の一つです。
2011.07.10
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1978