『ふるさとメルヘン』所収の作品です。
もしかしたらこの一冊こそ、最もアボサンらしさが表れた本かもしれません。
何度読んでも魅力は失われず、むしろ深まります。
その中で、「こぐまの春」は、ヨーロッパの香りを含んだファンタジー童話です。
ところで、某雑誌にも書かれていたように、
阿保さんの作品の魅力を言葉にするのは、とても難しい。
本当にそれは、見て読んでもらって、その人の心に溶け込ませて、
感じて頂くしかないのです。
ですから、少し写真を添えてみることにしました。
コグマは、太く粗いタッチの短い線を重ねて描かれている。
手触りや重みが伝わる。首にはチャームポイントのスカーフ。
さらりと描かれた冬の枯れ木の表現も上手い。
ここで、途中までのストーリーを、かいつまんでお話します。
両親を失った独りのコグマが、冬眠から目覚めてしまい、空腹で山の中をさまよっています。
草むらに何か光るものが落ちていて、口の中に入れて舐めていました。
と、突然の物音に驚き、飲み込んでしまいます。
そこには一人の少女が。大事な鍵を失くして困っているとのこと。
コグマは先の物だと気づきますが、もう日が暮れるからと言って、暖かい家に案内します。
少女は疲れて寝てしまう。コグマは一緒にいたいと思う。
寄り添うと、少女は「ネコヤナギと寝ているみたい」と微笑む。
周りの小動物たちもコグマも、なぜか辺りに、ほんのり春の匂いを感じる。
……と、ここまでも見所があるのですが、その次のページに行きましょう。
* * *
写真(下)で見えるでしょうか。上記の話に続く、終盤のハイライトシーンです。
右上3段のコマは、こぐまのくしゃみとともに鍵が出てきて、
二人が呆気に取られているシーン。中段ベタの右下、鍵にハイライト。
続いて少女は鍵を確認する。コグマは戸惑って、「あ…あの… あのね…」と。
少女は微笑する。コグマは何かハッとする。
最下段、少女は愁いを帯びた表情で、手を伸ばして、カチっと何かを開ける。
ここは、じっくり見ることで、微細な互いの表情と感情の変化が伝わってきます。
右ページ下のコマは縦に圧縮され、少女の顔も小さい。しかし表情も周囲も変化している。
右最下段、少女の伸ばした手の先、枝葉の中に小さく「カチ」の文字。そこから…。
左ページ上、枠無しの大コマ。右上に「重い冬の扉 あけて やわらかい春へ……」。
2コマ目、コグマは、「あの子 春の子だった」と気づき、「かんにんね」と謝る。
左ページの大ゴマへ。少女が扉の向こうへふわりと飛び、
画面にはネコヤナギでしょうか、花をつけた枝葉が一面に広がります。
前ページで圧縮されたコマから一気に開放され、爽やかな風とともに春の息吹が舞い込んでくる。
ここで、先に申し上げたように、前ページ(写真右下)の繊細な描写に
しっかり入り込んでいるかどうかで、
二人の立場の変化や、圧縮〜開放へのギャップも大きくなり、
このシーンから受ける印象は随分と違ってきます。
ここに、アボサン流の、繊細で大胆な漫画表現のトリックがあって、
じっくり読めば応えてくれる深さと、それでこそ味わえる感動があるのです。
* * *
さてここで、左ページ最下段のコマを見てください(下に拡大図)。
真ん中少し左、何が描かれているか分かるでしょうか。
これは、こぐまが、こちら向きに、頭と体を地面にひれ伏して、謝っているのです。
横に揺れるフキダシで、「かんにんね……」の3回目。
アングルは春の精の方からの視点で、左にフキダシなしで彼女の返事が書かれます。
そしてページをめくると最終ページへ。
その最上段、さらに遠くに引いたアングルの、上と同じような構図のコマがあります。
そこに、「ありがと…… かぎみつけてくれて」の優しいメッセージ。
私は、そのシーンを何度見ても、胸が締め付けられるような気持ちになります。
それを言葉にするのは難しいのですが。
* * *
この物語は、最後、「もう春だよ……」の言葉の後に、
花びらが舞う初春の草原で、コグマと、別のクマが、少し顔を赤らめて、
遠く見合っているシーンで終わります。
これは、コグマの幻想でしょうか。
春の子の聖なる力が、今は亡き母親の姿を、コグマの前に現出させたのでしょうか。
もしそうなら、その夢から覚めた時、
彼の孤独感が一層強くならないか、と心配にもなります。
いや、互いのクマが顔を少し赤らめているのを見ると、
これは現実にコグマの目の前に現れた、恋人候補の雌クマかもしれません。
それこそ春の到来と言ったところで、
このラストシーンにも明るい希望が溢れます。
その解釈は、きっと人それぞれに委ねられるのでしょう。
* * *
ところで、この作品、安房直子さんの童話「北風のわすれたハンカチ」(1971)と
少し似ているところがあって、両方を読み比べてみるのも、また楽しいかもしれません。
私の想像ですが、阿保さんは、安房さんの「北風〜」にインスピレーションを得て、
「こぐまの春」(1978)という新たなファンタジー漫画を作られたのではないでしょうか。
月の輪熊はコグマに、魔法のハンカチはネッカチーフに、青い少女は春を呼ぶ精霊に。
家のストーブは絵になって、そうしてストーリーは全く別物に。
氏の自然の表現と発想力が反映された、素晴らしい短篇ファンタジーに仕上がりました。
「こぐまの春」は、絵やキャラクターや話は無論、阿保さんの選ぶ言葉もまた素晴らしい。
アボサンの暖かさと画力が発揮された、メルヘン漫画の秀作です。
2010.09.10
著者:ライラック
illustration ©MIYO Abo 1978